龍神さまが引き寄せてくれた、「室生寺」の旅 後編
前日、女人高野「室生寺」を訪ねたら、現地まで来て、
ようやくここが、水の神の聖地であると分かった、
おまぬけな私と盟友のM氏。
いや、おまぬけではない、龍神様が呼んでくれたのです。
現地でそのことを体感し、知ることが、我々の旅の意義。
そもそも室生寺が女人高野になる、はるか前、
天武天皇の勅願により修験道の祖、役行者に開かせたのが
この室生寺の出発点。
鬼を手下に使い、呪術を能くした超人、
役行者(役小角)ならば、日本中、
特に近畿から紀伊半島一体の山中を跳ぶように走り、
あらゆる山や川、滝や水脈などを知り尽くしているはず。
その役行者が、時の天皇、天武天皇から、
おそらく「雨ごい」「防水害」祈願の聖地として、
この地に神社仏閣(神仏習合のため)を開かせたとしたら、
ここ室生の地は、まさに水の神の聖地に違いありません。
旅の二日目、我々は、
室生寺からさらに山道を遡ること約1キロ、
ついに「室生龍穴神社」にたどり着いたのです。
まず、前立の杉の巨大さに圧倒されます。
おもわず、口をあんぐりと開けてしまうほどです。
この室生龍穴神社、平安時代初期に創建されたと言われ、
ご祭神は、高龗神。
龗という字が、すでに雨と龍という字でできています。
この高龗神という神様は、
古事記・日本書紀、その両方に登場している神様。
そもそも龗という字は龍の古字らしく、高龗神は、伊邪那岐神の奥様、伊邪那美神が火の神加具土神を産んだ際、ホトを焼かれて亡くなってしまったため、伊邪那岐神が怒って加具土神切り殺し、その際の刀の血から生まれた神様だそうです。
つまりその後、日向で身を清める伊邪那美神から生まれた、天照大御神、月読命、須佐之男命よりも前に産まれた神様という事になります。
龍穴神社本殿には、善如竜王社という額?が掲げられ、
ここでも神仏習合が生きています。
(善如竜王とは仏教で雨ごいの対象である竜王の一つ)。
本殿の裏にも回る事ができ、そこでもお参りができます。
女人高野、室生寺の神社だけあって、
多くの女性がお参りに訪れていました。
ちなみに高龗神は、水を司る神社、
有名な京都の貴船神社の主祭神でもあらせられます。
ところで、室生龍穴神社、というからには、
「龍穴」がどこかにあるはず!
でも、神社境内にはそれらしきものは見当たらず。
で、地図をよく見ると、ここからさらに1キロほど山奥に、
聖地「龍穴」があるらしいことが分かりました。
歩いて行く事もできそうな距離ですが、
昨日の室生寺奥の院への階段の悪夢がまだ脚に残る我々は、
軟弱にも、車にて向かうことにしたのです。
山道をゆっくり走ること数分、
ついに水の聖地、「龍穴」の鳥居を発見!
鳥居の下に「龍穴」の文字と下へ向かう矢印が。
さらに鳥居の脇には1.5mほどの竹の杖のような物が。
そうです、ここから、谷へ降りるのです。
聖地「龍穴」にたどり着くには、
それなりの努力と覚悟が必要なのです。
写真で見るよりはるかに急な道を下ります。
竹の杖の存在が本当にありがたい!
足を踏み外すと、マジ、危険です。
そしてついに、龍穴を正面から拝める拝所へ。
履き物を脱ぎ、深い谷を挟んだ対岸の巨大な岩壁を拝むと、
そこにはまさに龍が棲んでいた(いる)に違いない、
奥が全く見えないほど暗く巨大な岩の裂け目が。
おおお!これぞ、聖なる「龍穴」なのです!
私の拙い所見からすると、この岩の感じは、
熊野などに見られる、火山性の火成岩のよう。
だとすると、無数の穴があってもおかしくはない。
そして、深い森に降る雨をため込む水源に違いない。
そう、龍穴は、その名も竜穴川から室生川へ、
さらに木津川、淀川へと流れていく大河の源、
京の都の南部を潤す、聖なる水源地だったのです。
そのお姿は、神が宿ると言われる巨大な磐座であり、しかも、あらゆる命に欠かせない水の生まれる聖地という、古代の人々にとっては極めつけの神聖な地、
だったに違いありません。
これはあくまで拙い私見ですが、
この龍穴を含む「水の聖地」は、
おそらく縄文時代から磐座信仰とともに、
極めつけの聖地として大切にされてきたのでしょう。
「室生龍穴神社」の主祭神が、
天照大御神、月読命、須佐之男命よりも前に産まれた神様、
高龗神というのも、
暗にそれを示唆しているかもしれません。
水の聖地、室生の郷は、
岩や龍穴、水そのものを信仰の対象とする、
自然信仰とアニミズムが今も生きている、
約束の地だったのです。
それは、自然生態系保全のために世界に訴えたい、
ネオ・アニミズムの聖地の一つに違いありません。
アニミズムを修験道にまで高めた役行者は、
当然、この水の聖地を知り尽くし、
聖なる修行の場にしていたはず。
大和朝廷になって以降、
神宮宮域林の制定といった世界初の森の保護など、
日本の国土に合った自然保護を命じてきた天武天皇は、
稲作や人々の暮らしに欠かせない「いのちの水」の聖地を
きちんと祀るように、役行者に命じたのでしょう。
そしてまず龍穴を神社として祀り、雨ごいなどを執り行い、
さらに後世(平安期)、その神宮寺として、
室生寺を建てたのかもしれません。
以上は、私の想像の域を出ませんが、
今も多くの人々が室生寺や龍穴神社を詣で、
心から祈りをささげるのを目の当たりして、
我々は、この想像が真実に近いのでは、と思いました。
ただ一つ、残念だったのは、
実はこの近くに、龍を鎮める神社、
龍鎮神社があることを、
帰ってくるまで気付かなかったことです。
何という失態!
次回はもう少し事前調査して、
現地へ入らなくては、と、少し反省したのでありました。
さあて、次回は、どんな龍の聖地を訪ねましょうか。
完
文責:birdfilm 増田達彦