自動車メーカーからBIOTOPEへ──2%の変化からインパクトを生み出す
はじめまして。COO / Transition Designerの、押野です。2020年4月からBIOTOPEに所属し、大企業のビジョン・ミッションの策定、経営戦略の文脈づくり、新規事業開発、組織開発などのプロジェクトを主に担当しています。
この記事では、前職の自動車メーカーから、BIOTOPEにキャリアチェンジをした背景をお伝えします。キャリアの歩みをご紹介することで、BIOTOPEでできることの可能性を見せることができたらと思います。
「クルマを文化として残す」を志した日産時代
私は新卒で日産自動車に入社し、18年間勤めました。
なぜ日産に入社し、18年も働いていたかというと、子どもの頃からクルマが好きだったからです。私が小さいころ、クルマ好きの父の周りには同じ趣味でつながって楽しく盛り上がる仲間たちの集いがあり、それが大きく影響しています。またそんな父と、クルマ文化がとても豊かなイギリスで暮らしていたとき、クラシックカーなりスポーツカーなり、人々がそれぞれの「好き」を語り合う幸せそうな姿が日常にありました。そんな光景に心惹かれていました。
そうしていつからか、クルマを「モノ」としてではなく、「文化」として残せないかと思うようになりました。
日産に入社してからは、さまざまな部署を経験しました。入社当初は商品理解を深めるために商品企画からマーケティング・セールスまで、いわゆる上流から下流までを経験。北米勤務時代は、モータースポーツブランドの商品投入と高級車のマーケティングを担当。その後NISSAN GT-RやZなど往年の名車のマーケティング担当に戻ったのち、量産EVの立ち上げ時期にEV関連の新規事業開発事業部に異動しました。EVの事業部では、モビリティサービスも含めた新規事業の立ち上げに数多く携わりました。その流れで、経営企画、そして役員秘書室に異動。その後は経営層に近い立場で、商品の長期戦略や技術パートナーシップ戦略、アライアンス戦略に携わりました。
そんな私が日産で培った経験を3つ紹介します。
イントレプレナーとして、外から内に風を通す
商品企画、マーケティングの部署を経て、商品としてのクルマに限界を感じていたとき、クルマをモビリティとして見直す波がきていました。EV事業部の新規事業開発を担当する中で、新しいモビリティサービスの立ち上げチームに入ったのは2013年です。当時、チームメンバーは3~4人。かれこれ2年半、奔走しました。
事業は、それまで日本に規格すらなかった2人乗りの超小型EVモビリティを使った乗り捨て型のカーシェアリングサービスの実証事業です。ステーションベースの乗り捨てカーシェアスキームを立ち上げ、車両の安全性とともに、人々の新しい回遊のありかたを提供する事業を横浜市と共同で実施しました。横浜市のなかでも、みなとみらいから馬車道、山手まで、住宅や公共施設、観光スポットが点在するエリアにモビリティを配置し、ユーザーが乗車場所と返却場所を事前に指定し、自由な場所で乗車&降車できるサービスです。ここでのさまざまな取り組みは日本初でしたし、約100台のモビリティの実証実験は、当時、国土交通省が認定した13の事業のなかで最大規模でした。
これは楽しかった。なぜなら、まず、利用者の反応を直に感じられたからです。窓のない車なので雨の日には顕著に利用してもらえないとか、「このサービスを利用し始めてから、実はクルマを手放しました」とご意見をもらったり(笑)。自動車会社の販売やアフターサービスはディーラーが担っているので、利用者の手触り感をもつ経験は新しかったんですよね。
そして、ゼロイチの立ち上げならではの泥臭い作業も楽しかったです。車両を輸入する手続きから、ドライバーをもって一台ずつカードリーダーの取り付け、届かなかった部品の調達で0泊3日のフランス出張があったり。それまでお仕事をすることがなかった地元の事業者を始め、色々なプレイヤーを巻き込むために直接交渉もしました。
総じて、会社の持っていた「当たり前の枠組みや考え」を崩していった取り組みだったと思います。新しい風を社内に吹き込んでいくイントレプレナーとしてのありかたが自分に合うことを見つけ、そののち異動した経営企画でも、そうした役回りを引き受けました。
事業開発と経営の共通点、人間らしさ
新規事業開発に奔走してからは、経営に関わることが増えました。ここで紹介するのは、秘書室として経営陣の会議に出席していた経験です。
当時、日産の経営の中核を担っていた4人の副社長のうちの1人の戦略秘書として、経営会議の準備や議事録の作成、事前事後の調整をしていました。
ほとんどの経営会議に出席したと思います。論理的な分析をする人、感性を大切にする人……。それぞれの役員に個性があり、どれも人間味のある会議に見えました。世界有数の自動車会社が次になにをするかを決めるダイナミズムが、そこにあったのです。「人が会社を動かしている」という、言葉にすると当たり前の事実に出会うことができました。
このとき、先述した、モビリティサービス開発時の経験を思い起こしました。まだ誰も見たことのないものを「やりたい!」という熱い思いで打診し、ビジネスとして広げた経験。新規事業開発は、人間らしい想いがすべてだったと思います。会社には冷静沈着な分析が求められる役割もありますが、事業開発の現場と、経営判断を下す経営層のあいだに人間らしさの共通点を見つけました。
転機は、企業の「慣性」とコミットメント
やりがいを感じて働く日々でしたが、あることを機に、日産という会社で働く以外の可能性を考えるようになります。それは、企業のいかんともしがたい「慣性」に直面したときでした。
当時の私は、経営に携わったあと、イントレプレナーとして現場に戻り、コネクテッドカー分野の技術/商品企画担当として車載ナビゲーションの企画に携わっていました。
そこでは、新たに採用するソフトウェアと既存のシステム開発の設計思想の対立がありました。スマホの浸透で普及したUI/UXを、クルマにそのまま持ち込むわけにはいきませんが、ユーザーがインターフェースに期待する操作が大きく変わったことも事実でした。
よい商品を生むには、異なる思想をぶつけ合って生まれた一つの思想に基づいて「やること」と「やらないこと」を決めることが大切です。思想を持たない商品は、ユーザーに届けるべき体験価値を見失い、中途半端に「ただの機能」を備えます。そうすると、「ただの機能」を実現させることにコミットすべく、開発部隊は全力で働きながらも、何を実現させているのか分からなくなってしまいます。
議論に時間をかけても、「やりたいこと」ではなく「できること」「間に合うもの」が集まった商品になってしまう。心のどこかでおかしいと思っても、プライベートを犠牲にして昼夜問わず働く、そんなことが起きてしまいます。
一般的に、企業には「慣性」が働きます。過去の経験から形成される「正しさ」は会社の強さになりますが、状況に応じた軌道修正の手段がなければ、その「正しさ」はあさっての方向を指し示すことになります。私は大企業の内部でその「慣性」を実感し、外部から軌道修正の方法を模索できないかと、次のキャリアを決意しました。
BIOTOPEの佐宗さんとは、BIOTOPEを創業する前、10年以上前からの知り合いでしたが、事業会社を外から支援したい旨を話し、2020年4月にBIOTOPEでのキャリアをスタートしました。
トランジションの最初の2%を支援する
BIOTOPEでは、組織にある「慣性」に抗う支援をさせていただいていると思います。クライアントのなにかを、壮大に、ドラスティックに変えることができる、とは言いません。でも、いままでの「慣性」の方向とは確実に2%、本来ありたい姿に向けて上向きに角度がついている状態になることを大切にしています。
1%でもなく、3%でもなく、2%。この2%の変化を組織が共有できれば、1年後、組織は内部から大きく変わると思っています。
事業開発でも事業戦略でも、実現するためには3歩進んで2歩下がるような経験をします。それでも1歩進んだことを喜び、また次の3歩に向けて試行錯誤する。この繰り返しです。ですから、チームメンバーが同じ方向を見ていることがなにより大切です。
もし、同じ方向を向いていないときはなにをすべきか。それは、本質を語り合える状態になることではないかと思います。自らを俯瞰し、抗うべき「慣性」を認識し、立ち位置を定め、あるべき姿であろうとする、そんな状態です。
そのための変化を、2%に込めたいなと思っています。もう少し具体的に説明します。
ビジョンのデザイン
BIOTOPEで行っていることのひとつに、クライアント企業のビジョンづくりがあります。ビジョンは、つくることが目的ではありません。つくったことで、組織のなかにいまとは異なる変化を受け入れる土壌をつくることが大切です。そこには必ず、気づきによる「あ、そうか」という、現状そしてこれからに対する認識変化が起こります。
たとえば、具体的に解決したい社会課題も、目指したい豊かな社会像もなく、日々、お客様の要望に忠実に商品をつくっているメーカーがあるとします。ゲームのRPGにたとえるならば、メーカーは有能な鍛冶職人です。魔王と戦う勇者や魔法使いから「こんな武器がほしい」と言われ、剣とか刀とか、魔法の杖を、言われた通りにつくってきました。
「あ、そうか」は、自分たちにも倒したい魔王がいること、そして自分たちが主体的に動くことでその魔王を倒すことができうると気づくことです。気づくと、やるべきことがどんどん見えてきます。工房で武器をつくるだけでなく、街に出て冒険者登録をし、冒険に出るための仲間づくりを始めるかもしれないし、魔王についてよく知っている他の冒険者から情報を得て、新しい武器をつくり、それを広めるための量産体制を構築することになるかもしれない。「自分は鍛冶職人を超えてもいいのだ」と考えることで、持っている知識と経験のそれまでにない使い方も見えてきます。
ビジョンをつくることは、自社の存在意義を改めることとも言えるでしょう。ビジョンづくりのプロジェクトでは、「あ、そうか」のタイミングを生むために設計のすべてを込めています。
ビジョンを「単なる壁の絵」にしないために
ビジョンをつくったあとは、行動に落としていきます。
この「あ、そうか」は2%の変化そのものです。会社は人が動かしている。だからビジョンで「あ、そうか」のきっかけをつくったあとは、その「あ、そうか」の気づきで、できるだけ多くの人の認識と行動を変えることが求められます。
ですから、BIOTOPEが支援するビジョン浸透は組織文化の可視化や行動指針の策定といったインナーブランディング、そして事業戦略の策定などさまざまな活動につながっていきます。
これらの活動で重要になるのが、一貫したナラティブです。
なぜ今のままではいけないのか、なぜ変わらなければならないのか、そして「変わる」とは具体的にどのような行動をするべきなのか。そのストーリーが大事なのです。
行動を本質的に変えるためには、人の思考やものの捉え方を変えることが不可欠です。BIOTOPEでは、つくったビジョンを、前述のRPGのようなメタファーも使い、クライアントに合わせた文脈に落としながら、デザインの力を借りて「あ、そうか」をいくつも生み出し、組織のトランジションを支援しています。
そして、私のような事業戦略を策定した経験者の視点はここでも大きく役に立つと感じています。自分たちが今生み出そうとしている変化を会社の文脈にのせるとどう表現できるのか。全体の戦略に沿って、ヒト・モノ・カネといった共通言語を駆使し、変化の道筋を一緒に立てることができます。これまでの経験上、多くの経営層がこのプロセスでより深く「あ、そうか」を感じてくれています。
大企業が変わることのインパクト
BIOTOPEにきて数年経ちますが、相変わらず、大企業が変わることに期待を寄せています。これは、サプライチェーンの川上が変わることで、よいエネルギーを大きく循環させて社会にインパクトをもたらすことへの期待です。本質的には企業の規模は問いませんが、ステークホルダーが多いほど、変化の意義と責任が大きいと感じています。
また、先述したように、大企業には慣性が働いています。その慣性を正しく把握し、変化を見据えて適切に言語化するには第三者の目が必要であると、改めて感じています。
慣性に無意識に流され、会社があさっての方向に向かっているとき。それを修正する方法は、チームメンバーがどうありたいか(=ビジョン)を具体的に、何ができるかを考えられるレベルで語れる状態になることです。
最終的に行動を起こすのは我々ではなく、クライアントのみなさんです。でも、その行動を起こすために、なにを目指すかに気づく。何に抗うのかを見つけ、どう抗うかをしたたかに考察する。BIOTOPEで支援するビジョンとナラティブを生み出すプロセスの裏には、確実に変化を起こすという我々の強い思いがあります。
BIOTOPEでは、以下のようなプロジェクトをやっています。
ビジョン・ミッションデザイン
目指すあるべき姿の言語、ビジュアル、ストーリー化
ビジネスデザイン
ビジョン、ミッションをベースとした新事業エリア探索支援
新規事業策定プロセス策定支援
新規事業プロジェクトの組織伴走
組織の意識変革
ビジョン、ミッションの自分ごと化施策支援
組織価値(バリュー)・行動規範(クレド)のデザイン
終わりに
目の前のことに忙殺されていると、「これ、おかしい」「間違っているのでは」と思っても、口にできないときがあります。言わないことに慣れて、自分で自分の考えさえ分からなくなることも珍しくありません。
私は、クライアントチームのなかで言葉にされていないものや、もやっと感じているであろうことを取り上げて、言葉にしていきます。ああでもない、こうでもない、と一緒に悩み、チームが口にしてこなかったことを、ビジネスの文脈ですくいあげていきます。「あ、そうか」の気づきは、組織が動き出す瞬間です。
想いがあれば人は変わり、人が変われば組織が変わります。「慣性」に抗いたい、「想い」を持つ人たちの後押しをしていきたいと考えています。力になれることがあれば、お気軽にお問い合わせください。
プロジェクトのご相談・お問い合わせは下記より。ぜひお気軽にご連絡ください。
Interviewed & text by Momoko Imamura
Edit by Ryutaro Ishihara
Photographs by Kosuke Machida