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会津を読む
一番つらがったごと?生きることだな。日々生きるごどが大変だった。しかし、つらいごとばっかではねえぞ。楽しいごともうれしいごともあったわい。
にしゃ(お前)に、これだけは言っておぐ。ここがにしゃのふるさとだというごどを忘れんな。どこさ行っても、こごにはにしゃの親だちがいるっつうごと。じいちゃんもばあちゃんもこごにいる。それを忘れてもらっては困る。 (82才祖父から聞き書き) 三島町中3
「会津学」Vol.4 奥会津書房
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写真 奥会津だより98号 表紙
(特集・山に生きる 対談)この山ブドウのカゴを作るのに、だいたい山ブドウが三本犠牲になります。それで山ブドウは枯れてしまう。山ブドウの実が落ちてくれば動物たちも一生懸命食べます。動物というのはエサがなければ数は減ります。これが自然の掟です。だから私は反対なんです。今このように三島町も…全国に知られて、編み組が有名になっていますが、その裏には犠牲になっているものがある、と私は考えています。
(前年会津地方で200頭の熊が駆除されて)本当に悲しい出来事なんですね。クマはエサがなければ冬眠できないので、本当にエサ食べに真剣なんです。夢中なんです。たまたま一昨年は天候のせいで、主食のドングリがならなかったんです。それで人家の近くに来て果樹とか、そういうものを食べたんです。クマだって怖いんですよ、出てくるのは。だけど何かを食べて脂をかけないと生きていけない。 三島町間方在住 K氏
「会津学」Vol.4 奥会津書房
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写真 終戦後作られた葡萄籠。かつては山仕事の必需品であり、雪に閉ざされた冬の仕事。T氏所蔵
* * * *
20代の山歩きが会津との出会いだった。燧ヶ岳、七ガ岳、小野岳、浅草岳、田代山、三本槍岳、荒海山、帝釈山、田代山…
行程のほとんどは忘れてしまったが、いつまでも脳裏に浮かぶ光景がある。
乗り継ぎ駅の構内で仮眠をとって、最寄駅までの始発を待った。会津鉄道や只見線に乗ると、車窓から、朝靄の中にすでに畑仕事をしている農家の人々のシルエットが見える。
おそらく朝食前の野良仕事。きちんと手入れされた墨絵のような山里の朝の光景。今でも目に浮かぶ。
やがて、時を経て、この十数年は編み組みを生活運動の中心に据え、注目を集める町のイベントに毎年参加させていただいてきた。
町の小さな出版社で、年数回発行されてきた冊子「奥会津だより」が、町の広報と一緒に届くのをいつも楽しみにしていたが、この夏、この奥会津書房の書籍を10冊ほど取り寄せ、少しずつ読み進めている。
自分ではよく知っているつもりでいた地域の人々の暮らし…何も知らなかった。
とりわけ、会津を発信する時の、この書房の切り口のひとつである"聞き書き"に魅了されている。
孫の問いに応える祖父の来し方の厳しさは、大陸で戦争の悲惨を体験した私の父に重なる。
工芸館の館長を定年退職されるまで、編み組みを中心に据えた町の振興に尽力されたK氏の本音の言葉には、ふるさとの自然や生き物、伝統、暮らしの変容への痛切な思いが、伝わってくる。
どの号も、さらりとは読み飛ばせないボリュームで、ゆっくり時間をかけてめくっている。
…to be continued