旅の宿…陶工が愛した料理旅館
春先になると出掛けて行きたい所がある。
初めて訪れた笠間は、毎年5月の陶炎祭には今や50万人を集める観光地だが、当時は畑や林の中に民家が点在する、長閑な山里だった。
道沿いにぽつりぽつりと佇むギャラリーや工房、日動画廊の庭と展示室、魯山人の鎌倉の旧宅を移した春風万里荘… 仕事のひと区切りがつき、さてこれからどうしよう、といった逡巡の気分にぴったりの旅になった。
笠間生まれの日本画家・田中嘉三氏の死後、ご遺族が10年をかけて完成させて間もない記念館でコーヒーを飲んでいるうちに、日帰りの予定だったが、一泊していこうという気になった。
在りし日の画家や、開館までの奮闘などお話下さった未亡人にお宿の相談をすると、すぐに電話をかけて空き部屋の確認をして下さった上に、奥にいらした息子さんに声を掛け、「上州屋さんに送ってあげなさい。」
旅先で受けるこのようなご好意は、必ず次の展開に繋がるものだ。
旅の醍醐味。新しい土地に足を踏み入れる。気持ちが動く。日常では出会わない人々に出会う。チリのように溜まったモヤモヤが晴れる。帰ったらまたやっていけそうな気がする。
連れて行っていただいた上州屋さんは、こじんまりしているけれど、古い旅籠の風情ある構え。黒光りした急な階段を上がった二階の部屋に通された。古くは、焼き物を買い付ける行商人が逗留したという、若夫婦とお母様で商うお宿だった。
夕食は、気さくな若女将が、一品ずつ、頃合いをはかって、部屋に運んでくださる。目にも舌にも染み入る料理が、作家ものの吟味された器に盛られている。尋ねると、作り手の名前やお人柄など教えてくださる。お盆を下げぎわ、街や陶工さんの話題を何かしらちゃちゃっと話していかれるのが、とても楽しい。
笠間には各地から陶芸家が移り住み、窯を築いていて、そんな一帯は芸術村と呼ばれている。昼間歩いた所も、その一画だった。
在住の作家さんが、お客さんや仲間との集まりに一階の座敷を使い、お料理を味わい、挨拶がわりに作品を置いていかれるのだとか。料理良し、器良し、女将の人柄良し。おそらくこの時、お腹にご長男を身ごもっておられたはず。そんなことは物ともしない身のこなしで、突然やってきた一見の客を、心から寛がせるお宿だった。
薪で炊いたご飯が済むと、ご主人がデザートを持って挨拶に来られた。彫りの深いイケメンさんのシェフが勧めてくださったのは、季節の八朔。袋を剥いて、小高く盛られ、抹茶の砂糖を添えた焼締の一皿が今でも眼に浮かぶ。食べにくいと敬遠していた八朔、これから誰かに食べさせる時は、私もこうしようと思った。
それから毎年のように、笠間を訪れることになって、記憶が何度も上書きされているが、くっきりと残っているのは、やはりこの最初の旅である。
5月の陶炎祭にも日帰りで毎年行った。最初に覗いた祭りは、まだ始まって間もない頃で、今のように大規模でなく、場所も芸術村の空き地で、30人ほどの作家さんが、草刈りをしたり手弁当で段取りをする、手作りの楽しいイベントだった。現在の広い公園に並ぶ数百のブースを覗くのも楽しいけれど、やはりあの空き地には、これからみんなで盛り上げていこう、という陶工さん達の意気込みがみなぎっていた。
笠間に足を向けるきっかけになったのは、日曜版の新聞記事だった。仕事を辞め、数年の修業を経て、工房を築いたばかりの若き陶工の写真と記事を切り抜いておいたのだが、実際出掛けて行ったのは数年後だった。
記事の小川甚八氏は、やがて松屋などで毎年個展を開く、人気の急須作家になられた。注文して焼いて頂いた、薄くて軽く、焼きのしっかりした蕎麦猪口は、使い勝手が良く、毎日多用している。波乱万丈の暮らし振りを、女将さんがいつも聞かせてくださった。
もうひとり。いつか高遠の店で見かけた焼締の花器に、[堤綾子 笠間]とあり、これも笠間だ、と記憶を重ねていた。弥生土器のような天衣無縫の、存在感ある作品だった。
春風万里荘を訪れた時、ギャラリーにあった手桶型の花器が、遠目にも、堤さんだ!とわかった。これ好き、とすぐに心が決まり、だけど持って歩くのは重いかな、と思案していると、スタッフから声を掛けられた。歩く旅の途中だと言うと、「堤さん、お近くなので適当な箱を持ってきてもらいましょう」
ええっ!
間もなく現れた女性は、歯切れの良い話し方をなさる、気さくな方だった。小柄なこの方が、いつか高遠で見た、あのようなダイナミックな作品を作るのか、とびっくり。
空き地の祭りで見つけたU字型の大壺も、工房に伺って入手した"蹲"も、楽しい記憶と共にある。
数年後、建て替えられたお宿の表玄関には、堤さんがお祝いに[上州屋]と手書きで屋号を彫った、素焼きの陶板が掲げられた。女将さんのお話から、お酒好きで、お弟子さん達に慕われる"男前"の女性像が伝わってきた。
上州屋さんに泊まるのはいつも人の少ない春先。どれも美味しいお料理だったけれど、とりわけ記憶に残るのは…春野菜の小鉢のあれこれ、片口の日本酒に添えられたホタルイカの醤油漬け、美しく盛られたお刺身、ふぐの唐揚げ、あんこう鍋、牡蠣の茶碗蒸し、〆の雑炊…そして朝ご飯のすべて。羽釜のご飯がとにかく美味しい!
ノビルの酢味噌和えの瑞々しさに感嘆すれば、帰りに摘んでいけと生えている場所を教えてくださる。日本酒の入った艶のある粉引の片口にうっとりしていると、ご主人が作者の吉村昌也さんの工房"なずな窯"に連れて行って下さった。上州屋さんの紹介とあらば、と気さくに窯や仕事場を案内して下さり、自作のどぶろくをさあさあとぐい呑に…。当時すでに、作品が入手困難な人気作家さんだった。
今になって思う。季節の節目に、疲れ果てる日常の隙間に、いつも変わらぬ風景で受け止めてくれる場所があったこと。何も問わずに、ただ美味しいものを食べさせてくれる人たちがいたこと。なんて幸せなことだったろう。
to be continued…
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