二進数の話
楽しければよいと思うのだ。
楽しいか、楽しくないかで私の生活は出来ている。
それはもう0と1のようにハッキリしたものだ。
料理は楽しい。後片付けは楽しくない。
床拭きは楽しい。ホウキがけは楽しくない。
楽しいことだけして生きていきたいし、
楽しくないことはしたくない。
だからそうなるように選択しているし、
楽しいと思い込むようにしている。
どうしようもかく楽しくないことは
そっと記憶から消し去る。
というかそもそも悲しいとかよく分からない。
悩んでいる時の気持ちとはどんなものか。
「悩みがなさそう」
悩むってなに。
今この記事を書いている私は悩んでいるのか。
悩むとは悲しいとか悔しいとかがある時ではないか。
知らんけど。
悲しいや悔しいは生活のハードルを上げると思うのだ。それを引きずるのがめんどくさい。
悲しいからといって何かが変わるわけでもあるまいし。過ぎたことは過ぎたことだし。
こう思うのは、私にまだ大きな悲しみや挫折が
降りかかってないからなのだろう。
気づいていないだけなのかもしれないけれど。
「楽観的で羨ましい」
先日、そう言いながら友人が泣いた。
この友人は1つの出来事を
自分の納得がいくまで考えるタイプだ。
もしこうしていたら、
の可能性をあるだけ出して後悔するのだ。
買い物ひとつとっても、
買った場合のメリットデメリット、
買わない場合のメリットデメリットを比較する。
「気にしなけりゃいいじゃん」と思ってしまう。
過ぎれば同じだから。
私の判断基準は
「楽しいか楽しくないか」
それとほんの少しの、
みんなも楽しんでくれるかどうか。
出来るだけ多くの人が楽しい方が私も楽しい。
金額とか体力とか時間とか、
そういう制限はあまり気にしたくない。
やりたい事をやりたい。
これって現実逃避って言うんですか。
地に足についてないって言うんですか。
どうにも出来ないことは確かにあるよ。
お誘いを断られる事も、突き放される事も、
冷たくされる事もあるよ。
でも、それは全部私が悪いでしょう?
誘い方とか、付き合い方とか、
この前言ったいらない一言とか、
気づかないうちにあったかもしれない。
悪いことは大体私が原因だから。
否定してよね。
でも私はこう思うよ。
だって自分の外に原因を見つけたとしても、
それこそどうにも出来ないでしょう。
じゃあもう、私のせいにして次頑張ればいいじゃんか。どんなに理不尽でも。
多分ね、こういう言い方
本当は良くないの分かってるんです。
全部自分のせいにして抱え込むのは良くない。
私は上手に忘れられるからいいけど、
きっとこれを読んで傷つく人もいるんだろう。
最近多様性が叫ばれるようになって、
いろんな病気とかが身近になってきたけど。
いろんな診断があって、
自分も病気じゃないかとか障害がありはしないかとか
簡単に調べられるから、
私は仕方ないとか生きにくいとか思ってしまうけど。
社会のせいにして、それを叫んで、
社会を変えていくのが1番だけど。
本当は楽しいと思えない時はたくさんあるけど。
それでも、楽しいと言える私でいたいと思うのだ。
そう思っていたいのだ。
二進数の私を私は好きなのだ。
二進数じゃいられない時だってあるけど、
それでも。
明日もどうにか二進数で生きていけるように
0と1を積み重ねていきたい。
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