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映画の話

「またね!」
笑って彼に手を振った。
彼の後ろにカメラを置いて
少し斜め上からのアングルがいい。
そんな風に、こんな風に、
自分のことも何故かスクリーンの中の人のように
扱って生きてきた。

もちろん主観はあるのだ。
たのしい、うれしい、しあわせ
ありがとう、ごめんね、すき
自己主張は強い方だと思う。
その先で、私の人生が楽しんでもらえるように。
私の映画が面白くなるように。



「おじゃまします」
1人暮らしの彼の部屋はいつもカーテンがかかっていて少し薄暗い。
カーテン、開けたらいいのに。
電気代も抑えられるし。
パソコン仕事に没頭して、気づけば暗くなることが多すぎるから、それならいっそ最初から部屋の電気を光源にしてしまった方がいいんだって。

いつものように部屋の端に座る。
手持ち無沙汰になって、そっと小説を開く。
彼はパソコンの前でずっとカタカタしている。
私は小説を読む。
「はい」
コトン、と目の前に緑茶が置かれる。
びっくりする。
小説に目を戻す。
同じ行を三回読んで、それから
ああ、お礼を言えてない、と思って
またその行を読む。

ふう、と息を吐く。
小説を閉じる。目蓋に主人公が浮かんで消える。
「終わったの」
声がかかる。
びっくりする。
「終わった」
小説をテーブルに置いて彼を探す。
青いベッドはまだ見慣れない。

身体を弄られている、のを
どこか遠くの誰かの事のように受け止めている。
気づいたら更に暗くなっている部屋も
距離のせいで感じる熱も
何故か自分の事とは思えない。
ただシーツや彼の胸に顔を埋めて
時が過ぎるのを待つ。
布の擦れる音が響いている。

キスは好きだ。
他人事だと思う間もないから。
受け入れる事に必死な間は
何も考えなくて済む。
彼の目蓋を見ながら思うのは
私はどうすればいいんだろう。
努力して目を閉じる。
唇が離れるたび
そっと彼を盗み見て
唇が触れるとまた目を閉じる。
目を閉じるのは怖い。
分からないのは怖い。

豆電球の赤い光を受けて
彼の目が焚火みたいに見えた。
それを見ている私の目は
何に例えてもらえるだろうか。
ゆらゆら揺れる目。
ちらちら光る目。
私はそれを物欲しげに見つめるだけ。

彼が離れていく。
そっと追いかけるように彼の首に手を回す。
輪郭をなぞると
本当に彼がいたのだと知ってびっくりする。
こうなってようやく、私は
私と彼が触れている事を知る。
私の肘の内側と彼の首筋が擦れる。
どうしたらいいのか分からなくなって
目を逸らす。

気づけば部屋は蛍光灯で照らされている。
立ち上がった彼を見上げて背伸びをする。
歯と歯が当たってカチリ。
そんな事を気にする間もないほどに
必死にしがみつくまいと足に力を入れる。
彼が離れていく。
踵を下ろす。
目の前のシャツのボタンが気に入らない。
彼の手が腰に回って、私も恐る恐る手を伸ばす。
肘を腰に回して、手首を背中に当てる。
手のひらが迷子になって
迷子になったまま彼が離れていく。


「またね!」
玄関扉を挟んで笑う。
扉が閉まる。
早足で廊下を歩く。
背中にガチャリと鍵のかかる音が当たる。
嬉しい、嬉しい、あと何か。
口元が歪んで半笑いの私の顔を
誰か笑ってくれるだろうか。


昔からそうだった。
触られるのに抵抗があるわけでないのに
触る事が苦手だった。
声をかけるために肩を叩く時も
シャーペンの貸し借りで指が触れる時も
びっくりする。
それこそ、絵本の登場人物が
話しかけてくるかのように。
映画のスクリーンからキャラクターが
抜け出して手を差し出してくるかのように。
彼らが実体を持っていたことにびっくりする。

眠れない夜も
歩き散る朝も
踊り出す午後も
良い画になる。
いつもその瞬間を切り取ることに必死になって
感情が置き去りだ。
そうしてあとから寂しさが募る。

「またね!」
の切符には有効期限があるんだろうか。
次があるならびっくりしないでいたいけど。


神社のお参りで必ず言うセリフがある。
「きっと見ていて楽しいはずなので
もっと楽しくしていくので見守っていてください」

この映画を誰かが笑ってくれますように。

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