つらさベクトル
うつ病には重症度(軽症・中等症・重症)がある。これは素人では決して判断できず、専門医による診察を受けてなされるものだ。患者本人が重症度を気にする必要はないと私は考えている(実際、患者本人には重症度を伝えない医師も多い)。そう考える理由と、では重症度は何のためにあるのかを以下に述べる。
私自身は初診時に中等症〜重症(中等症であるが重症の一歩手前)と診断された。あえて重症度を伝えられたのは、寝られない・食べられない状態にもかかわらず休みたくないとごねている私に、ことの重大さを伝えるためだったように思う。うつ病と診断されることは覚悟の上で受診したものの、まさかこの程度で会社を休まなくちゃいけないなんて当時は思ってもみなかった(相当ヤバかったのに、その判断すらできない状態であったのだ)。あなた、重症一歩手前よ、と言われてようやく私は会社を休むことを承諾した。
軽症だから楽、重症だからつらいとは限らない
以前、ある場所で「あなたは軽症だからそんな能天気なことが言えるんだよ」と軽症の人を批判する重症患者を見かけた。モヤモヤした。
私自身は中等症であったが、軽症の人は楽でいい・重症だからつらい、とは思わない。うつ病の症状の出方や苦痛の程度には個人差がある。精神疾患のほとんどは身体疾患と異なり数値で測れるものではない。結局は自分の主観や主治医の見立てで重症度は決まる。
私はどんな重症度でもーーそしてうつ病ではない人もーー等しく弱音を吐いていいと考えている(もちろん、重症患者は私には想像もつかないギリギリのところにいるのだとも思う)。
つまるところ、重症度にかかわらず「みんながつらい」のだ。だけどつらさの質は人によって異なる。その大きさは数直線のように簡単に表せはしない。
まるで数学のベクトルのようにーーしかも大学で習うn次元空間ベクトルなんていう複雑怪奇なもののようにーー、みんなが別の方向のつらさをかかえている。n次元空間に存在するつらさベクトルの大きさをあなたはどう計算する? 高校数学では3次元がやっとだ。そんな高度なこと普通できっこない。
重症度というのはつらさベクトルを医学という側面から見たときの大きさに過ぎない。個人の感じるつらさ(つらさベクトルの大きさ)と医学的な重症度は相関しない。一側面の大きさだけに振り回されると本質を見誤る。まるで錯視の実験のように。
では重症度とは何のためにあるのか
重症度。それは治療方針を決めるために医療者が気にするべきものであると私は考える。医学的な重症度に応じて適切な治療法は異なるのだ。治療法は医療者が思案すべきことであって私たち患者は私たちのみている世界を伝えることに注力すべきだ。
軽症だからといって甘くみてはいけないし、重症だからといって絶望してはいけない。私たちが気にすべきは自分や他人の重症度ではなくて、協力し合って支え合って、少しでも良い道を探すことではなかろうか。