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フジロックとアーティストの「見られることへの自覚」

今年のフジも最終日のみ、息子を連れて挑みました。

今年の行程(メドレーで)
6時都内発 →到着、即パレスで食事 →まずドラゴンドラ乗ってDAY DREAMING、着ぐるみさんと握手 →オアシス横で川遊び(この時点で17時、見たステージ0)→グリーンに基地作ってYUKI →キッズランド大満喫。18時クローズしてくれなかったら今年もココで終わるところだった →ボードウォーク経由でついにヘブン到達(Gラヴ&ドノヴァン) →朝の民謡クルセイダーズが間に合わなかったのでアヴァロンでMUUPY →レッドマーキーでFKJ、トラブルで何回か音が止まったときに息子が「ジュースさんがんばれー!」を叫んだのが今年のハイライト →グリーンでLIZZO、途中で息子の電池切れで退散。残念ながらエニウェーイまではいられなかった。

結論:小学1年生にヘブン往復歩かせるのはまだ早い

Tシャツがかわいい

ということで
去年自分のDJではかなりプレイしたLIZZOを生で少しだけ見られて、それはそれは「わあいショウビズ!!」って感じでとても素晴らしかったんですが、まさに素敵な感想ツイートがありました。

すばらしい。
LIZZOなんてまさにそうなんですが、
アーティストのみなさんは「見られること」にとても自覚的ですよね。
自覚的だからこそ、あの表現ができているんだと思う。

・・
まで書いといたところで「LIZZO、ダンサーからの告訴される」のニュースが。えー

LIZZOみたいな人が逆に強い立場でハラスメントする側になるのか。。とか色々思うところはありつつ、一旦はしばらく真偽も含めて見守りたい感じでしょうか。
(僕はショックだ!幻滅した!二度と聴かない!とかは絶対言わないタイプです)


で、ここからは本人よりもスタッフ側のハラスメントのせいで見られ方が変わる話。

昔も今も色々なアーティストさんやタレントさんとお仕事の現場をご一緒するのですが、どっちかというと大物さんになればなるほど、ご本人よりもマネージャーとか変な立ち位置のスタッフが周りを強い立場で威嚇する、っていうのは結構あります。
そういう人ほど、腰巾着だから話が途中で変わったり、本人に通ってなかったりがしょっちゅうある。

その威嚇がアーティストのイメージをしっかり守ってて、適当な扱いを受けないために怒ってるんだな、さすが!と思うこともあれば、いやお前自分の気分で虎の威を借る狐じゃん、アーティストの意向関係ないでしょ、ってことも結構ある。
介する人の階層が深いと伝言ゲームが途中で止まって意図が変な方向に行ったりもする。

周辺スタッフのせいで「このアーティストはブランドイメージ壊れてかわいそう」とか「関わったせいでアーティストの見え方が完全に変わった。もうギャラ払いたくない」って思うこともあります。
でもこれはアーティストパワーが強い、旬の時だけ成立する話でもあるから世知辛い。

で、最後に無理矢理、自分の作品に話を持って行きますが、今回は作品の紙資料(という名のほぼ作文)を作っていて、文章の流れで適当にしてしまった部分だとか、記載の表現についてアーティストのみなさまや関係者からもいくつか要望やアドバイスがあり、その正しい部分と「作品としての表現」と「売るための表現」についてちょっと悩んだ瞬間がありました。

結果、できるだけ事実を淡々としつつもそれっぽく客観的な構成にはなった筈なんですが、この書き方で良かったのかはちょっとまだ疑問が残ります。

どう見せたいのか、どう見られたいのか。
このブログは作品のプロモーションがメインでもあるけど、作品を世に出す以上、この先は「見られること」にもしっかり自覚的でいるべきかもしれません。

「カフェインの女王」アナログリリースまで
残り93日。


CHICK-D feat.椎名純平「カフェインの女王」
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chick_d
ありがとうございます涙