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邪馬台国徳島説を吟味する

※本記事は、情報誌「月刊タウン情報トクシマ」にて連載されていた山口敏太郎の「徳島不思議百物語」より、第18回(2014年10月号)から第22回(2015年2月号)までの計5回に渡って掲載されていた『邪馬台国徳島説を吟味する』の再掲載です。

 我々日本人の心を捉えて離さない古代の王国・邪馬台国、そしてその国を治めていたのが女王・卑弥呼である。卑弥呼は鬼道を使うシャーマンと言われ、弟が実務を取り仕切ったという。かなりロマンチックな話だが、ご存知のとおりこの邪馬台国の場所はいまだ特定されていない。現在のところ、畿内説と九州説が有力ではあるが、確定証拠は出ていない。最近では邪馬台国を「やまたいこく」と読まず「やまとこく」と読む動きが主流になりつつあり、大和朝廷の前身勢力が邪馬台国ではないかと推測されている。

 この邪馬台国論争に我が徳島が参戦したことがある。1975年に郷土史家・郡昇氏が『阿波高天原考』を著述、1976年には古代阿波研究会が『邪馬壱国は阿波だった︱魏志倭人伝と古事記との 一 致︱』(新人物往来社)を刊行した。当時小学生だった筆者もこの本を購入、大変興奮した記憶がある。同時に観光リーフレットのようなものも発行され、卑弥呼役の女性モデルのシースルー衣装にドギマギしたのも笑える思い出である。

 当時県内でも大きなムーブメントが起きたが、邪馬台国研究の大家であった関西在住の某氏は、マスコミ紙上でろくな検討もせず『邪馬台国徳島説』を失笑し斬り捨てた。筆者も少年ではあったものの、この酷い対応に腹だたしい思いをしたが、それが学者たちの一般的な反応であった。

 しかし、この冷遇にもめげず、日本テレビのプロデューサー山中康男氏、フランキー堺氏、岩利大閑氏、鈴木旭氏、大杉博氏と『邪馬台国徳島説』は多くの研究家によって深められ、啓蒙されてきた。雨にも負けず風に負けない各氏の研究は、徳島への愛と敬意が感じられる苦難の系譜である。

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