見出し画像

抜毛症と皮ふむしり症、そして爪かみ。自分なりの分析。                     ~トラウマからの脱却~

今回の不調についていろいろ調べていたら、
「抜毛症」と「皮ふむしり症」というものを知った。

これ私だ。

まさに私。

思春期の頃から大人になっても止められなかった。
頭のてっぺんの髪を抜くこと。
足の裏の皮膚をむしること。

抜き過ぎて、頭のてっぺんに丸いハゲができて、そこから新しい短い毛が生えて田植え後の苗のような状態になり、その短い毛が気になってまた抜く、ということがエンドレスで続いていた。

いつも夜の休憩している時間帯に手が行き、次々と抜いていた。
ティッシュペーパーの上に抜いた毛がこんもりと山盛りになり、「満足した」と終えれるまで随分と時間を要した。

足の裏の皮膚も同じ。
皮ふの固い部分が気になりむしり始め、血が出るまでむしってしまっていた。
足の裏だから、歩くときに痛くて足を浮かせて歩いていたことを覚えている。

「やめよう。こんなことはしない方がいい」
って思っていたけど、どうしても気になって止めることができずにいた。

そして「爪かみ」も子どもの頃から大人になってからも長く続いた。
今更ながら、私は子どもの頃ストレスが多かったのか?と気づく。
母とのやるせない関係が慢性化して、ストレスだと感じることすら諦めていたから、こうした行為になっていたのか。

髪を抜くと、それも頭のてっぺん部分を抜くと、チクッとした痛みが絶妙な感覚で走る。
酔いしれてしまいそうな痛みだった。

皮ふをむしっている時も、そーっとむしって血が出るか出ないかのギリギリの所でむしり切る。
身体を守っている分厚い皮膚を取ってしまうのだから、むしる時のジワーッとした痛みや、薄皮になって歩く時の痛みはやっぱり快感があった。

あの頃の自分をよくよく分析してみると、
心の痛みを隠しているから、自分の体を少々痛めることで「痛み」というものを確認していたのではないかと思う。

「心が痛い」と自覚してしまうと、相手(母)を攻撃してしまうので、それを隠し抑えることで「自分は痛いんだ」と置き換えていたのでは?という感じがする。

多分このような症状が出る人は、とても優しい人なんだと思う。
誰よりも平和を願い、攻撃じゃない方法を選び、踏ん張っている人だと自分でもそう思うのだ。

ちなみに50代の今は、かろうじてどれもしていないが、手を異常なほどに洗いたくなる行為は、DVの頃に新たに加わった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?