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広田淳一
2022年12月10日 03:36
私たちは、crime(犯罪)を避けられるかもしれないが、sin(罪)からは逃れられない。また、私たちは「悪」を避けることはできるかもしれないが、「業」からは逃れられない。中島岳志さんの本を読んでいてそんなことをふと思う。そもそも、落語(芸事)とは業の肯定であり(立川談志)、文学とは、九十九匹のための政治の言葉では救われぬ逸れた一匹のためのものではなかったか(福田恆存)。そんなことを前提とし