広田淳一

劇作家・演出家。東京を拠点に活動する劇団、アマヤドリの主宰をしています。

広田淳一

劇作家・演出家。東京を拠点に活動する劇団、アマヤドリの主宰をしています。

マガジン

  • 演技のスパイス

    演技について感じたこと、考えたことなどのまとめです。俳優さん、演出家さんなどをはじめ、モノを創ることに興味がある人になにかのヒントになることを目指して書かれた記事たち。

  • ハラスメント防止についてのあれこれ

    理想の稽古場とハラスメント防止についてのあれこれ、についての記事です。

最近の記事

結局は一打席づつの積み重ね

2023年07月05日のツイートより 凄くシンプルなことだけど、いつでも「ベストテイクを目指して演じる」ってことが大切だと思う。毎回、毎度。 これは演出家として思ったこと。さて、自分は俳優に「次がベストテイクだ!」と思って演じられるような環境を作れているだろうか、と。演出家も常に問われているのだ。こちらの気が散っているようでは俳優は集中できない。 いつもいつも、ベストを更新し続けることなんてできない。事実としては確かにそうだ。その上で「ベストを目指して演じる」こと。芸術

    • ワンスペース問題の考察/どうやって相手に近づいたらしんどくないんだろう? 

      2021年12月27日のツイートより 今日は「ワンスペース問題」について書いてみたい。と、この話を始める前に断っておくとこれは完全に僕の造語だ。「なんだそれ?」だと思うのでまずはそこから説明したい。 多くの俳優に対して僕はよく「相手をよく見て」「よく聞いて」「よく受けて」という意味のことを言うが、そうすると人によっては「目を逸らさずひたすら相手を見つめ続ける」現象が起きる。正面を向いて相手役を見続けるのだ。会話のシーンで相手役に対してずっと正対していると、相手と自分との間

      • 公演期間などに思うことども

        2021年12月27日のツイートより 公演中に考えたことをいくつか。 まず、俳優には本番を通じて伸びていく力があると思う。若くて、経験の浅い俳優なら尚更、飛躍の程度も大きいと思う。だから伸びる時期、成長する時期にちゃんと間を空けずに良い現場を重ねて欲しい。どんなスポーツでも始めたばかりの最初の数年で技術が飛躍するものだから。それと同じようなことが演技においても起きる。 逆に言えば、最初の数年で間違えたクセだったり、不自然なフォームを身に付けてしまうと、それを抜くのに多く

        • 場をイメージして動く、感情の対象を把握する。

          2022年のツイートより 今日は「場をイメージして動く」ことに関して。 僕は俳優に対してよく「何でもいいから動いてみて」ということを提案する。その提案を受けて、ハイそうですか、とスルスル動ける俳優もいれば、急にそないなこと言われましても、と困ってしまう俳優もいる。もちろん、動けばなんでもいいというわけでもないが、それでは、何が俳優自身にとって自由を感じられるいい動きであって、何がそうでないのだろうか? 俳優の動きを本当にざっくり分けると、「身振り/手振り」レベルのその場

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        • 演技のスパイス
          12本
        • ハラスメント防止についてのあれこれ
          8本

        記事

          法律を越えて自由を抑制することへの疑念と、「若者よごめん」てな言葉が帯びる欺瞞について。

          2022年10月07日のツイートより 近年の演劇界のハラスメント防止にまつわる議論に対して、僕が特に疑問を抱いているのは、先輩は後輩に○○してはならない、といったハラスメント規約が明らかに法律を越えた禁止、すなわち自由の抑制を含んでいる場合に関してだ。恋愛禁止などもそうだが、その、本来保障されるべき個人の自由を抑圧している権力の主体は何なのか? 誰なのか?  仮にその権力を振るうのが劇団の主宰者個人であれば大問題だし、運営サイド、主催者サイド、などの集団であったとしても大

          法律を越えて自由を抑制することへの疑念と、「若者よごめん」てな言葉が帯びる欺瞞について。

          受動/能動の境界線から離れて

          2022年10月12日のツイートより 「語るからだ」vol.2 を昨日、盛況のうちに無事、終えました。正直、人が集まるのか当初は心配だったのですが、結構俳優さんの中にも自分のからだを見直したい、発見を得たい、という願望は強くあるようで企画としては間違えてなかったのかな、と。概ね、好評をいただけたようでしたし、休みを挟みつつ月1ぐらいで続けられたらいいなー、と片山さんと将来を展望しております。今回は、満員で参加できなかった、てな方も続報お待ちください。 きっとまたやりますでよ

          受動/能動の境界線から離れて

          望まない行為を強要される喜びについて

          2022年12月10日のツイートより 近頃またあれこれと舞台を拝見していて思うのだが、俳優というのは本当にいろんなことを求められる仕事だ。泣いたり叫んだり、半裸になったり全裸になったり、暴力行為、罵倒、土下座…。どれも舞台の上ではよくあることだが、そんなことが「よくある」とされる仕事は本当に特殊なものだ。 ある俳優は役柄の発する差別的な発言をしなければいけないかもしれない。根っからのリベラリストが狂信的極右思想の役柄を与えられるかもしれない。本人の性的指向に全くそぐわない

          望まない行為を強要される喜びについて

          演出家から「処罰」の権限を奪うこと、あるいは「帰りの会」という実験

          2023年03月12日のツイートより さて。『天国への登り方』の本番が近づいてきた。ハラスメントについての議論を今回、座組でも劇団会議でもかなりの時間を割いて行った。いや、行い続けている、というべきか。僕が割りと既存のハラスメント防止のための議論を全肯定するのは危険だなあ、と思う性質なので、劇団としても時間をかけ、独自の取り組みをさせてもらっている。 最近、導入してこれは画期的だな、と思っているのは「帰りの会」制度。これは簡単に言えば稽古終わりの10分間ぐらいで、その一日

          演出家から「処罰」の権限を奪うこと、あるいは「帰りの会」という実験

          長い台詞を喋ること。

          2023/05/17のtweetより 長い台詞を喋るのは難しい。特に普段の生活で長々と話をするタイプではない人にとって、イプセン劇のような三行、五行と平然とひとり語りが続く戯曲は非常にやっかいに感じられるだろう。そこで、すごくシンプルな対策として「考えた結果を話すのではなく、考えながら話をする」てのはどうだろうか。 戯曲というのは、俳優がそれを読む時には最後まで書かれていることが多いので、あらかじめ決められたもの、固定されたものとして俳優に受け取られることが多い。しかし、

          長い台詞を喋ること。

          役柄を捉えるなんて簡単にいうけどさ

          2023/05/16のtweetより 今月から再開した「演技のためのジム」は引き続きイプセン『人形の家』に取り組んでいる。これまでジムでは複数のシーンを取り上げて適宜ペアを組んでやってもらってきたのだが、今月はとにかく延々とラスト・シーンだけを全チーム、全日程で続けてもらっている。意外とこれが飽きないのだ。 ノーラがラストシーンでヘルメル相手にカマす台詞の数々は、やっぱり今見ても非常にスリリングで面白い。この作品を安易にフェミニズムと関連づけてばかり読んでしまってはいけな

          役柄を捉えるなんて簡単にいうけどさ

          どういう規約がいいんだか。

          2023年6月23日のツイートより ハラスメント関連の諸問題について、ここ数年、なんとか劇団としての理念を文章化したいと行動しているんですが達成できておりません…。内部的にはコンプラ委員の設置や、「帰りの会」実施など、自分たちなりの独自の取組を実行してきたのですが、理念を公開、という段階に至れずでして…。ただ、今夏にはなんらかの形にしたいな、と思っております。既に様々な劇場/団体、個人がハラスメントについての基本姿勢を示しておられるので重なる部分も多いでしょうが、自分たちな

          どういう規約がいいんだか。

          自分の声、パワフルさとリアリティ。

          2023/06/14のtwitterより パワフルな演技とリアリティのある演技、いつでもこの2つの両立は難しい。騒がしく大げさな演技をすれば、不自然で、リアリティの無いお芝居になってしまうし、かといって自然さを追求して演じれば、スケール/サイズの小さな演技になってしまう。どう解決すればいいのか? 結論から言えば、リアリティを犠牲にしてでもパワフルでスケールの大きな演技をやってみたり、あるいは、パワー/サイズを犠牲にしてでもリアリティのある演技をやってみたり、繰り返しながら

          自分の声、パワフルさとリアリティ。

          イメージ豊かに演じるということ

          「声の対象」というトピックに関連して追加でもうひとつ。 「自分」を対象にして声を出すというのはかなり複雑な現象だが、思うに、それは更に「自分の身体」と「自分の言語」に対しての発声へと分けられるはずだ。ふとした瞬間に呟く「ちょっと疲れてんのかな?」みたいな自分を客体視する発声と、推理や、推論のような思考が漏れ出た声と。   今日は「イメージ豊かに演じる」てのはどんな状態のことだろう? ってことについて書いてみる。よく俳優は「もっとイメージを持って!」とか「イメージが伝わるよう

          イメージ豊かに演じるということ

          声の対象

          2023/06/28のtwitterより 今日は「声の対象」ということについて考えてみたい。声は、演技を考える際にかなり重要な要素のひとつだろう。良い声を出すための指導をしてくれる「ボイス・トレーナー」なんて職業が存在していることからも、表現にとっていかにそいつが重要視されているかがわかるだろう。 発声の方法とか、そのためのストレッチとか、筋トレとか、もちろん、そういう「訓練」も有用だろう。そもそも、一朝一夕に「良い声」なんてものは獲得できないものだし、一ヶ月の公演期間中

          トリガー渓谷っていう山の話ではなくて

          演劇公演において、どの程度カンパニー側がトリガー警告を発するべきか、ということについて悩んでいる。当分の間この問題と付き合っていくことになるんだろう。簡単な答えが出せるとは思っていないが、公演の度に、その都度「結論」が求められる話題でもあるのが悩ましいところだ。 ちょっと思い返してみよう。思うに「この作品には暴力についての描写があります」などという「警告」は僕が若い頃には見られなかったものだ。そして、そんな警告は無いのが当たり前だった。始めてゴキブリコンビナートという劇団を

          トリガー渓谷っていう山の話ではなくて

          私たちは、crime(犯罪)を避けられるかもしれないが、sin(罪)からは逃れられない。

          私たちは、crime(犯罪)を避けられるかもしれないが、sin(罪)からは逃れられない。また、私たちは「悪」を避けることはできるかもしれないが、「業」からは逃れられない。中島岳志さんの本を読んでいてそんなことをふと思う。 そもそも、落語(芸事)とは業の肯定であり(立川談志)、文学とは、九十九匹のための政治の言葉では救われぬ逸れた一匹のためのものではなかったか(福田恆存)。 そんなことを前提として、ハラスメントの問題について考えていきたい。ぼんやりとしたイメージでしかないの

          私たちは、crime(犯罪)を避けられるかもしれないが、sin(罪)からは逃れられない。