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「問題が生じた時、誰かに相談できるか否か?それが人生の別れ道」

24歳のシングルマザーが8日もの間、女児を自宅部屋に置き去りにして遠距離恋愛中?の彼に会いに出かけている間に、娘が餓死したという事件があった。

人は、自分の経験した失敗からしか学べないことが少なくない。私もその内のひとりであるが、私にはズルイというか、業務上の少し役得なところがある。
それは、お客が仕事や恋愛などの問題に直面してしまった時、頻繁に相談をしてくれるかだ。私はその相談に対し、できるだけその人の立場になって悩み考え、共に問題解決を目指すように心がけている。もちろん、未熟な私には解決できない問題も少なくないが、弁護士や医師、カウンセラー、探偵など、専門家に任せてみてはどうだろうか?と、提案するのも、またバーテンダーの仕事の一つだ。
これはかなり有意義なものだ。その人の失敗の原因を共に考え、問題発生から解決までのプロセスを学べるのだ。
それは、次にまた別の人が同じ失敗をした時、これほど心強い経験はないのだ。私の仕事の核心はここにあると言っても過言ではないと思っている。

オットー・フォン・ビスマルクの言葉に、
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、」

というのがある。直訳すると、

愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」 ****

と言っている。

話を母娘の事件に戻しましょう。
私は、常に想像してみる。
もし、この母親が私の店のお客だったら、どういう対応をしただろうか。
もし同じ結果を招いたとしても、私はこの事件から学ぼうとするだろう。
問題の諸悪の根源は一体何なのかを考察して、もう2度と繰り返してはならないと考えるはずだ。

彼女は、どうして冷静にかんがえられなかったのだろうか?恐らくは、恋愛感情が母娘愛を超えてしまった、と思わざるをえない残念な結果になった。(恋のパワーは時に人を死に追いやる)
たとえば、昆虫や爬虫類ならともかく、犬やネコちゃんを8日間、餌もなしに自宅部屋に置き去りにする飼い主がいるだろうか?
恋をしていない状態であれば答えは簡単だっただろう。
それほどに、彼女は男性に夢中だったのだろうと想像する。そして、彼は彼女に幼い娘がいたことを知っていたのだろうか?という疑問が浮上する。
彼の立場になって考えるなら、幼い娘を自宅に置いて遥々逢いにくる女をどう思うだろうか?
そして、彼が娘の存在を知っていたなら、娘を連れて堂々と逢いに行くだろうし、或いは彼の方から逢いに来たのではないだろうか。
だが、いずれもちがうようだ。
つまり、彼は娘がいたことを聞かされていないか、娘は誰かに預かってもらっている、などと嘘をついていた可能性が考えられる。
そして、若いシングルマザーが旅費を使ってまで逢いに行きたいのだから、彼女の方が彼に夢中になっている可能性が高いと思ってしまう。
それは、恋愛小説や映画のオーソドックスなテーマである、「嘘をついていたのは悪いと思っている!でも、嫌われたくなかった!」
という台詞が思いだされてしまう。
私も若い頃、この嘘をついたことがある。

テレビのある女性コメンテーターが、秀逸だった。
「見栄やプライドを捨てて、誰かに相談していれば、こんな事件は起こらなかったのではないか!」という発言に感心した。
母親をマヌケと責めるのは簡単だし、責めたコメントの方が、世論的感情を得やすく安全だからだ。
だが、コメンテーターは母親に対し、日頃の生活での、見栄やプライドを指摘したのだ。その鋭い視点にハッとさせられた。
もし、今の私ではなく、24歳の私だったらどうだっただろうか?恐らくは、バリバリ全開の見栄とプライドの塊り時代ではなかったか?そう捉えた時、この事件が我ごとのように、身近な事件に感じたのだ。

この事件の諸悪の根源は(すべて憶測だが)
1.嘘をついていたこと。(恐らくは、母であることを隠し、一人の女であることを選んでいた)
2.遠距離という違和感、近くに住んでいたらこんな事にはなっていなかったのではないか。
3.誰にも相談していないのではなく、出来なかった理由があった。この弱味が嘘を招いている可能性がある。

これらは、すべて私の想像に過ぎないが、私の言いたかったことは、

信頼し相談できる相手がいなければならない。それがたとえ1人でもいいから信頼関係を築かなければならない。そして、その人には絶対に嘘をついてはいけないということだ。

これが、あるのとないのとでは、人生においての困難の明暗がはっきりと別れてくるのだと、この事件から私は学んだ。



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