山道を歩く
久しぶりに高尾山に登ろう、と思った。
高尾山の山頂へ行くには、ケーブルカーに乗り、舗装された道を歩いて、短時間でラクに行ける方法もある。
恋人や家族と、クラスメイトや友人たちと、
「え~、キツイ~!まだ歩くの~」
などと言いつつ、おしゃべりしながら、写真を撮りながら、楽しそうに山頂を目指す人たちもたくさんいる。
けれども私は、ケーブルカーにも乗らず、舗装されてもいない登山道を選んだ。その方が「山に登っている」という感じがして好きだからだ。ひとりで黙々と、でこぼこの山道を歩いて山頂を目指す。
こうしてひとりで黙々と、でこぼこの山道を歩くという選択そのものが、私の生き方なのだと、今さらながら気づいた。
お金をかけて乗り物に乗ったり、人の手が施されて整えられた道を行けば、
もっとラクに生きられるかもしれないのに、そういうことができないのである。
でこぼこの山道を自分の足で歩いてたどり着いた山頂からは、まるでCGのように美しく浮かび上がる富士山が見える。
富士山を眺めながらおにぎりを食べ、記念写真を撮る人たちを眺める。
そして再び、ひとりで黙々と、でこぼこの山道を下っていく。
木々の巨大さに圧倒されながら、葉っぱの間から見える青空をあおぎながら、私は黙々と歩く。
声を出すのは、ゆっくり歩いている人たちを追い越すときに「先に行きますね~」と、あいさつするときくらいである。
そうやって登山道を下りきったところに、ちょうど茶屋がある。そこで飲むビールが、格別なのである。
「ぷは~っ!」
ビールのジョッキを片手に、ビルが建ち並ぶ遠くの街を見渡す。
見渡しながら、こう思う。
本当に私がやりたかったことは、山頂で富士山を眺めることではなく、でこぼこの山道を歩くことではなかったのか。
黙々と、ひとりで、何も考えずに、ただ歩く。
山頂というゴールを目指しているけれど、ゴールだけが目的じゃない。
ゴールへ向かう、途中の山道。でこぼこで、舗装されていない山道。その山道を歩くことを、楽しんでいる自分がいる。
それが、私なのだと思う。