PERFECT DAYSを観て
大きな展開もなく淡々と過ぎていく、まさにPERFECT DAYSの名に相応しい映画。
とても好きだと感じたが、観終わってすぐにはなぜ好きなのかわからなかった。頭の整理も兼ねて、感想を書いた。(ネタバレを含む可能性があります)
まず、タイトルやビジュアルから連想される「何気ない日々の小さな幸せ」という話ではない。
主人公・平山はトイレ清掃員としての毎日に満足している。音楽は昔から同じいくつかのカセットをローテーションしている。毎日決まった工程を丁寧に着実に繰り返すことが彼にとっての美徳だ。
けれどそれは、周囲の人間によって度々乱される。同僚の急な退職や、姪の家出、ママの元夫との遭遇など。その度に揺らぐ彼の喜怒哀楽が、とても人間的に描かれる。ここが肝である。
日常に満足しているということは、多かれ少なかれ、何かを諦めていると思う。折り合いをつけている。
この映画では、これまでの人生で彼が何を諦めてきたのかは語られない。あくまでパーフェクトな日常という表層しか映さないが、確実にそこに潜む"影"を示唆している。
その上で、ただ"影"を描くに留まらず、ポジティブに転換している点が、この映画の魅力だと思う。
平山は、清掃の合間にフィルムカメラで木を見上げた構図の写真を何枚も撮っている。「木」という題の古本を読んでいる。「影は重なると濃くなる」との持論を展開する。どういう意味だろうと思っていたら、エンドロール後にテロップで解説があった。一時停止してメモを取ったので、引用する。
星野源の「ばらばら」を思い出した。
世界は一つに見えて、実際には細かく分かれている。みんなばらばらで、たまに重なり合って生きている。
そんなばらばら同士でも、偶然に重なった光と影は、まるで木漏れ日のように刹那的で美しい。
平山のような孤独な初老男性でも、職場や馴染みの店、親族、すれ違った人、いろんな人と関わっている。楽しさ、悲しさ、愛しさ、絶望感すら、いろんな気持ちを重ね合うことができる。
誰かとの関わりって、自分のペースを乱されたり煩わしいこともあるけど、その揺らぎでこそ心が動くし、そこにこそ希望があるんじゃないか。
そんなことを思った。
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