
【神奈川のこと41】さらば、通勤快速(品川の次、大船)
令和3年(2021年)3月13日のJRダイヤ改正で、通勤快速が廃止となった。よってこれを書く。
予感は当たっていた。
昨年の緊急事態宣言明けから、通常の出勤をしているが、普通電車でさえ空いているのだから、通勤快速を走らせる意味はもう無いであろうと。
予感は的中した。
東京駅発19:50、20:50、21:50。これが「東海道線」通勤快速の発車時刻だ。停車駅は、東京、新橋、品川を出ると、次は大船、藤沢、茅ヶ崎、平塚、国府津、終点小田原となる。
何と、川崎、横浜、戸塚をすっ飛ばすのだ。
所要時間は東京-大船間、普通は約45分のところ、38分と7分も短縮される。
東京駅21:50発の通勤快速に、週3日は乗っていた。
3月12日(金)は、最後の最後となる21:50発に乗ろうと決めていた。
だが、会議が延びた。
乗れないかもしれない。
辛い時も、嬉しい時も、疲れている時も、酔っている時も、快適に大船まで運んでくれた通勤快速のラストラン。
どうしても乗りたかった。
会議が終わった。
オフィスを飛び出した。
もう東京駅には間に合わないから、タクシーをとっ捕まえて、新橋に向かった。新橋駅発は、21:53だ。間に合うかどうかギリギリの時間だった。
もし、間に合わなければ、noteのタイトルを「涙の乗車券」にしようと考えていたら、少し心が落ち着いた。
間に合った。
急ぎ足で新橋駅の改札を抜け、ホームへ。
いつものように、最後尾の車両に乗るべく、有楽町寄りの端まで歩く。
「通勤快速は、本日をもって終了します。長年のご愛顧、ご利用、誠にありがとうございました。」という駅員のアナウンスに胸が熱くなる。
電車が入線、ドアが開き、乗車。
「”最後の”通勤快速、ドアが閉まりま~す」と駅員の声から想いが伝わる。
思い起こせば、新卒3年目か4年目、平成7年(1995年)ごろ。
会社の一年後輩で、藤沢は弥勒寺に住む絶世の美女、りよとしょっちゅう一緒に通勤快速で帰った。
品川駅の発車ベルが鳴る。「品川を出ますと、次の停車駅は大船です。川崎、横浜、戸塚には止まりませんので、ご注意ください」とアナウンスが流れる。
ドアが閉まる直前に、3名ほどの酔客が、ガハハと笑いながら「あ~、間に合った」と乗り込んでくる。次の停車駅が大船であるという事実に気付かぬまま。
「だからね、俺は言ってやったんだよ、〇〇だってね」
「前からずっと言ってるんだよ、〇〇だとね」
先ほどまでの居酒屋談義の続き、「だから俺は前から言っている」自慢を披露している。静かな車内にその声が響き渡る。
川崎駅を通過したが、気付かずに、「前から言っている」は続く。
横浜駅を通過。すると、3人の内、聞き役に回っていた1人が「あれっ?」となる。
通勤快速の常連客は皆、一様に「クスッ」となる。
「参ったな~、大船まで止まんないの?いや~、参った」。
りよと顔を見合わせ、肩をすくめて笑った。
「前から言ってるんだよね、品川の次は大船だってね」とささやいた。
りよのその美しすぎる微笑につられて、酔客も一緒に笑った。
そんなことを思い出しながら、「最後の」通勤快速は戸塚駅を通過。
聴いていたNHK-FMから、ビートルズの「インマイライフ」が流れる。
大船駅に到着。
「長年、通勤快速にお世話になりました」と、車掌さんに告げた。
藤沢駅に向かって走り去るその姿を、見えなくなるまでホームで見送った。
今はもうすっかり聞かなくなったが、かつて、東海道線は「湘南電車」と呼ばれていた。
東京へ仕事で通う、湘南・西湘地区の人々のために存在した通勤快速。
まさしく、湘南の湘南による湘南のための電車であった。
念のため、もう一度言おう。
品川の次は、大船。