【神奈川のこと40】春の陽気、横浜散歩(横浜市/横浜美術館~味奈登庵総本店)
先月23日の天皇誕生日。
実に久しぶりで横浜を散歩した。
毎日、神奈川新聞を読んでいると、展覧会なんかの情報がしばしば掲載されている。
普段は読み飛ばすことが多いのだが、今年に入って、立て続けに3つ、興味を引く展覧会の記事に出逢ったので、切り抜いて取っておいた。
それらを一気に見に行ってしまおうと、23日という日を選んだ。
コロナ禍なので、展覧会の類は日時指定で事前予約が必要だ。
混んでいるか空いているか分からない中で行くよりも、事前予約すれば安心だった。
仕事で、前日の月曜は帰宅が遅かったが、翌朝はワクワクした気分でスッキリ目が覚めた。
1つ目は横浜美術館だ。
生まれて初めて、一人で美術館に行く。ちょっと大人な感じが嬉しい。「お出かけですか?」と聞かれて、「え~、ちょっと美術館に」なんて道端でご近所さんとあいさつを交わすことも想像しながら、家を出発。結局誰にも会わず、カラスだけが人を小ばかにしたように鳴いていた。まあ、いいさ。
大船駅から始発のJR京浜東北線に乗り、桜木町で下車。人影もまばらなバスターミナルを横目に、ランドマークタワーに向かって、動く歩道を歩く。
若干、迷いつつ横浜美術館に到着。間隔を空けてすでに並んでいる人たちがいたので、そのお尻に並んだ。
入場し、予約が済んでいることを示す、ウェブサイト上のバーコードを読み取られて、いざ、お目当ての展示場へ吸い込まれるように進む。
入口で係員から、「ロッカー使いますか?」と聞かれたので、「いいえ、結構です」と答えた。
1時間ほどかけてじっくり、ゆっくり鑑賞。
やはりロッカーを使えば良かった。持っていたバッグの重さが、1時間かけて、やがて腰を攻撃してきたのだ。次回からは、ロッカーを使うのだ。
美術館を出て、眼の前の商業施設のビルを突き抜け、みなとみらい線のホームへ。エスカレーターに乗って、ぐんぐんと降りていく。近代的で静かなホームに佇み、電車の到着を待った。
日本大通り駅で下車し、次なる目的地の横浜開港資料館を目指す。
あったあった、いや~これは横浜らしい旧き洋館ではないか。ワクワクしながら入館。すると、銅板か何かでできた、薩英戦争で亡くなった英国人兵士の慰霊碑が、壁にかかっていた。思わず見入った。薩英戦争なんて、英国の圧勝だったろうなんて考えていたが、こうして英国人兵士も多数死んでいたなんて。
2階に上がり、お目当の関東大震災直後の横浜を撮影した、写真や当時の史料を見た。震災の起きた大正時代、父方の祖母は静岡に住んでいて、母方の祖父母はまだ結婚しておらず、埼玉と群馬にいたはずだ。
最後のお目当ては、大さん橋の客船ターミナルの中だ。レストラン「スカンディア」の前で、懐かしさのあまり胸が熱くなる。いざ、大さん橋へ。人影もまばらなターミナルの中を、ぐるっと一周したところでようやく見つけた。そうそう、これだ。戦前の海運会社が乗客に配った絵葉書や荷札が、小さなショーケースに展示されていた。
その後、客船ターミナルの屋上から、海を眺めた。鵜が一羽、海上すれすれを飛んでいた。着水がぎこちなくてハラハラした。鵜は、川でしか見たことが無かったから、海の着水は難しいのだろうと思った。それにしても港をわたる風の心地良さと言ったら。
さあ、そして、本日の締めくくりに向かおう。
ちょうど良い感じでお腹が空いてきたので、山下公園から、神奈川県民ホールを通って、味奈登庵総本店へ。
味奈登庵は、叔父が創業し、今はその息子、すなわち従弟が継承している。
幼い頃、よく母に連れられて来ては、天丼を食べた。
その懐かしの天丼を注文しようかと考えていたが、やはりここは、予てより、ず~っとやりたかったことをしてみよう。そうだ、あれを決行するときが来たのだ。
休日の昼時、五十路の男若干一名、馴染みの蕎麦屋で酒を呑みつつ、蕎麦をたぐる。
やりました。とうとうやってしまいました。冷たい日本酒を一合。そして、季節のおすすめと書いてあった、桜海老のかき揚げつけ天そばを堪能。ああ、神様、お許しください。
昼間の酒は、回る、廻る、巡る。
2本目行きたいところをぐっと我慢し、席を立つ。
次回は、懐かしの天丼をいただくとしよう。
日本酒一合の酔いと、3つの展示を見た程よい疲れ、そして2月だと言うのに春のような陽気への戸惑いを感じつつ、関内駅から、京浜東北線にうつらうつら揺られて帰鎌。
天皇陛下、万歳。