人は歴史から学ばないのに、どうして歴史を学ぶのか。
歴史って勉強しても、後の検証で変わってしまうし、その時のイデオロギーによって殊更に強調あるいは、ないものとして扱われる。
そのような可変的な歴史を繰り返し、戦争がない時はない。
うーん、学ばないな。
蓋し、これが歴史のあり方である。
歴史というのは、人間が介在する以上、様々な可変性を持ってある。
もはや、そこにはフィクションであるか、フェイクであることかは重要ではない。(フェイクが良くないという刷り込みがされたのは、特にAIがディープフェイクを作ったという歴史によってである。このようにパラダイムもその時の歴史に色濃く影響されている。本当はフェイクの可否について学ぶべきだと思う。フェイク、嘘により救われる人も多くいる。)
では、人は歴史から学ばないのに、どうして歴史を学ぶのか。
それは歴史の研究者であれば、単に歴史的な事実を知ることである。
市井の人は、どうして学ぶのか。それはわからないからであると思う。
そう言われたら、メリットデメリット、費用対効果のパラダイムの人には響かないでしょう。(わからない、意味にならないものは切り捨てるため。)
じゃあ、一つ次元を上げた姿勢を提示しましょう。
人は歴史から学ばないのに、どうして歴史を学ぶのか。
それは、歴史からなぜ人間が学ばなかったのだろうかと知るためである。
現在の情勢に、過去の歴史を積み重ねるというパラダイムによって、ほとんどの戦争・紛争が起きている。
かといって、歴史をなくすことがそのまま解決につながるとは考えがたい。(ここだけは明確な論理的思考はなく、私の直観である。)
歴史からなぜ人間が学ばなかったのだろうか。現状の問題を感情的に叫ぶのではなく。その一つ上の次元を話すことで、冷静に話し合えるのではないかと思う。
現象として理解し、本当の責任として引き受けるようになること。そのような場に平和はうまれるのではないかと期待と祈りを込めて。