自然派バカ
オーガニックだったら安心ですね。
自然に配慮しているから良い商品ですね。
何か、そういったよくわからない自然派なるものが増えてきたように感じる。
そういった自然派は、自分の都合のいいところだけを自然と呼んでいる。
そのような自然派は、自然を愛しましょうなんていうけど、
台風、地震を愛しましょうという人は、いないでしょう。
台風、地震はちょっと極端というのなら、自然に生まれたトリカブトでも、こんにゃく芋でも食べてみてください。
毒もちょっと極端というなら、母なる海から生み出された塩を愛してたくさん摂取してみてください。すぐに自然に還れますよ。
塩の例でもわかるように、人にとって必要な塩分であっても、過剰であればすぐに死んでしまいます。塩は作用動態が身近に感じられないかもしれません。
ならば、呼吸について考えてみましょう。人にとって必要な空気、1日呼吸できないかもしれないから、1日分呼吸貯めとこ。なんてできません。
人間は、バランスをとって生きるほかありません。
そしてそのバランスとは、他なるものにしか支えられていません。
(空気も食料も常に自分で保持することはできない。ここの保持と保持の権利なるものを作り出し、その2つが混同されることによって、拝金主義が生まれたと感じる。)
わけやすいかたちのくだものだもの ぜんぶとらないでとりのがそうや
はてなしはてな?(作詞・作曲:志人)
資本主義になってなんでも、商品になり果ててしまった。
自然を大事にしようという思想でさえも、パッケージ化されてしまったもの、それが自然派バカのように感じます。
SDGsの理念は社会主義の公共財のように素晴らしいものだと思います。
しかし、それが資本主義にとりこまれ、パッケージにされ、換金された。
人間が自然を俯瞰して支配する。
そのようなことは不可能である。それは日本人が世界でもよくわかっていると思います。
福島原発で、安全対策をしていても、津波にすべてもっていかれた。半永久的に住めない場所が作られました。換金率の高い、土地の有効活用、なんとかして金にするぞの精神が作りました。
金は手段でしかありません。
人類の幸せを願っての。
もっと、人の幸せに立ち返る必要があるんじゃないんですか。もっと地に足をつけて、生きなければならないのではないか。
資本主義を完全にやめろといっているわけではありません。もうちょっと自分(の金)以外の他を尊重する心を持ってと言っているだけです。
美術が理解できないから、美術館壊して、土地売った方がいい。森壊して、太陽光パネルに全部換えたらいい。社会的弱者、老人は殺した方がいい。
おかしくないか。そう言えるまともな人が少しでもいて、その人をある程度尊重できるようになってほしいということです。
自然派バカには、思想の弱さが垣間見える。
レイチェル・カーソンの衣鉢を継いだ自然派は素晴らしいが。
追記
本当の自然派とは、
自分の中の自然を、他なるものを尊重できる者だと思う。
私は自然を愛さない、支配しない。
私は自然を恐れ、尊敬する。