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ロスコのようには描けない。。。

京都の北白川のギャラリーで、グループ展を開催した時、Tさんが受付で
「ロスコのようには描けない・・」
と、折り紙をしながら、ポツリとつぶやいた。
それを聞いていたYちゃんが、周りの景色が映りこむ不思議なガラス管を持ったステレオ装置の方からやって来る。
「ロスコはサザビーズで、最高額で落札されたのよ」
と、言っている。
「へぇ~、そうなん。。。」
とワタシ。
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抽象絵画は、飾る場所を選ばない。すぐ、その場所に馴染む生きた絵画だと思っている。ヨーロッパのお家の壁に掛かっていても、きっと周りの溶け込んでいるだろうし、私の住んでいる、筑100年の古い家にも合う壁面があるし、神戸の現代的な建築物にも合わない場所を探すのが難しいと思う。

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矩形を描くロスコ。ロスコは絵画性を描いているのではないか。ロスコの重大な筆致は、描いている自分自身が揺れ動くその痕跡のようだ。だから、あのボワッとした表現は、なぜロスコなのかというその回答だ。生々しい手の跡は残される。生々しいと言うと激しい感じだけれど、その激しさは、〈静かな激しさ〉っていう感じ。。。

ロスコの絵はなぜだか落ち着く。

2次元を描く人たちの、降り積もる思いや考えなどで、実は、限られた平面は大忙しだ。いつもチリジリと動いている。手の意味を、描く意味を探し求めて絵画は行動する。

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ロスコと同じように気になる作家はニコラ・ド・スタールだ。2,3枚しか見ていないけれど、印象は強烈だ。スタールの造形は形も線も剝ぎ取ることで成り立っている。引き算の要約された画面は見事だ。デッサンする時に、消しゴムも〈描く道具〉などどいうけれど、スタールの平面も〈消すことで描く〉、という構造を根底に持っている。

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ロスコも、スタールも、抽象と具象の境界の細い橋を、行ったり来たりしていたのだろうか。橋の下には急流があって、時々、岩にぶつかり、飛沫をあげていることもあるけれど。

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でも、ロスコルームはいらない。いろいろなロスコが並んでいた方が楽しいと思うけど、どうだろうか。

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気になるスタールの絵画の骨組みを描いてみる。

。。これさえあれば、無敵だ。これさえ提示されていれば、安心だ。なにも、恐れることはない。風景の稜線以外は、形も色も、全部装飾で、絵のぜい肉のようなもの。。

とすれば、スタールは、基本となる絵画の筋肉を描いているのではないか。これが絵画の身体、これが絵画の赤と黒の土台だ、とでも言うように。

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〈抽象と具象〉について考えてみると、以前に読んだ『絵の言葉』(小松左京/高階秀爾著)に書かれていたことがおぼろげながらに浮かんでくる。その本を探しだしてみると、傍線やら、書き込みで埋め尽くされている。いつものことだけれど、記憶の梱包を解く作業をしてみる。この本は対談形式で書かれている。

高階 …歴史的にみてある形が順々に抽象化していく過程をたどれるところもあるけれども、最初から非常に抽象的な形が出ているところもある。トーマス・E・ヒュームというイギリスの哲学者が、人間と自然との関係からこの問題を論じていて、ぼくはそれにかなり賛成なんです。彼によると、人間と自然とが比較的うまく行っている時あるいは場所では写実の方向へいき、両者の関係がうまく行っていない場合、つまり氷河時代であるとか砂漠である場合には、抽象化の方向に行く、というのです。この仮説で言うと、たとえば、機械が登場してきた当初は人間にとって便利な道具だったけれども、機械がだんだん手に負えなくなる、つまり人間と機械の折合いがうまくつかなくなってきた時期に、まさに抽象絵画が出てきたということになる。地域的に見ても、たとえばアラビアという砂漠地帯で古くから抽象絵画が盛んだったことも、ヒュームの仮説に合うわけです。
小松 なるほどね。ただ、もう一つの要素として定着と移動というのも考えられるような気がする。ラスコーやアルタミラでは相対的に見て定着ができたために、あれだけの壁画をおそらくかなりの時間を費やして描いている。ところがタッシリやカラハリでは乾燥地帯ですから動き回らないと食えない。乾燥した広大なサバンナですから、獲物の動物自体が動き回らなければ食えないし、その獲物を追って歩き回らなければ人間も食っていけない。。
。。。。ロック・ペインティングが記号的なことは、そういうことも関係があるんじゃないか。。。。。

抽象と具象を、自然と人間がうまくいっていない時と、うまくいっている時という考えから導き出す方法が面白いと、強く印象に残ったことを思い出している。

この本は、今どこから読んでも面白い。書き込みが激しいところからも、面白さがこぼれ落ちている。

時代を形容してきたアートは古くなるどころか、新しい発見があちらこちらで、時代を超えて見つかることがあると思っている。

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* ここに挙げようと思って描いてみたのは、晩年に描いた、闇迫る黒い空、落日と思われる赤い地平線、灯り始めの電灯の黄色の光と、白い建物の連なりを描いた「アグリジェンド」という作品です。ここに、スケッチを入れようと思いましたが、とてもよさが伝わるような感じにはならなかったので、出来れば、ぜひ、スタールの作品を検索して味わってみてください。





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大屋好子
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