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「バンクシーの壁画にマスク」は本人が描いたのか説について

今回はタイトルのニュースについて、バンクシーのアートの意味も含めて、自分なりに考えたことをまとめてみました!!

よかったら最後までご覧いただき、考えるきっかけにしてほしいと思います。
(よかったらハートマークを押していってくださいね!) 

それではどうぞ!

1.この記事をつくるきっかけ

今回この記事をつくるきっかけになったニュースはこちら↓

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200425-00000014-asahi-int

ちなみにこのバンクシーの作品を含めて、グラフィティアート、ストリートアートが街をあげて認められているのがイギリスのブリストルです。

ブリストルの様子はこちらから↓

https://crea.bunshun.jp/articles/-/15278

2.この報道について

「バンクシーの壁画」にマスクの落書き?誰が加筆?盛り上がる」について

「誰がやったか」

という部分については、この作品と取り巻く環境を含めて、何も意味はないと思ってます。

本人がやったから価値があるとか、他の人がやったから「なーんだただの落書きか」となるとか

それこそ対象そのものを観てないよね?

「本人が描いたんだよ!」って発表があった後に、「やっぱ別人でしたー!」
ってなったらこの作品の価値はなくなるのでしょうか?

バンクシーのアートについては、また詳しく解説したいと思いますが、ごくごく簡単な言葉にすると「グラフィティアート」「ストリートアート」なんです。

ストリートアートって誰が描いたかとか重要じゃないと思うんです。
時代や環境、そこにいる人々の生活に合わせて、上書きされたり、消されたり、
その性質も、ヤンチャな人たちがスプレーで縄張りを示すためや、自己主張のために描いているものも、街を潤す活動の一貫で描かれているものもあります。

環境と共存して変化するアートなんです。

このマスク騒動は、そのように日々目まぐるしく移ろい変わってゆくストリートアートの変化の一部であって、

「時代に合わせて今ホットな落書きされてるよ!」

「人の顔にマスクの落書きかー!アイディアが面白い!!」

ってことだと思ってます。

このニュースはそういう

「ものをみる」ってどういうことなんだろう

と、改めて考えされてくれる問題提起的な意味ではいい話題だと思います。

ちなみにバンクシーのグラフィティアートは今でこそ知名度が高く認められていますが、それまでは描いては消され、消されては描いてを繰り返していました。

消されないように、わざわざものすごく高いところに描いてあるものもあるんですよ。

そうやってすったもんだ、イタチごっこを繰り返しながら、街の壁をアートで面白おかしく美しく飾ろうというのが、グラフィティアートなのではないのでしょうか。。

当然、切り取ってどこかに保管したり、所有したりするものではないのです。。。

ちなみにバンクシーのユニークさは、
ステンシル×グラフィティアートにあると思っています。
ステンシルとは型紙を使って図版を写す手法です↓

これまでのグラフィティアート、ストリートアートにはこのようなステンシルの手法を使って表現されているものはありませんでした。
ブレック・ル・ラットという人が始めたものを、バンクシーが本格的にマネしたようです。)

なので、手軽にしかも共通している、わかりやすいアイコンを各地に残していくスタイルが斬新だったのだと考えています。
(その他にもバンクシーがここまで有名になった経緯はあります。作品だけでなくプロモーションやパフォーマンスによる効果が大きいのです。その辺の詳しい内容は他の記事で解説します。)

スプレーで書き殴ったようなアートはなかなか共感を得にくいですが、(というか、落書きは犯罪です)
誰もが知っている形だとなかなか否定に向かない。
むしろ街中にひょこっと出てくる可愛いキャラクターたちには、それが落書きであるにもかかわらず、微笑ましさを感じざるを得ないのではないでしょうか。

つまり重ねていいますが、あくまで街に存在する、環境の一部となった「落書き」であって、切り取ってどこかの室内に展示するような属性のものではないのです。

3.「いいもの」ってなんだろう?

最近は、このバンクシーについてだけではなく、

いわゆる「いいもの」ってどういうもののことを指すんだろうと、考えさせられることが沢山あります。

作られている「そのもの」ではなく

「誰が」作った

言っている内容「そのもの」ではなく

「誰が」言った

が先行してしまう時代。

そこに込められているストーリーが、目の前にあるものに付加価値をつけることは間違いないし、当然の現象だとは思いますが、

それはあくまでも「付加」価値であって、「本価値」よりも先行するものにはなって欲しくないと感じる今日この頃です。

よくある「安いワインを、高いワインとして飲ませたらどんな反応するのか」と似ていますね!

安くてもうまいワインはたくさんあるよーーー!!!その味は自分にしか感じ取れない感覚だよー!!値段じゃなくて、自分の感覚を大切にしようよー!!

と叫んでみたいです。
(どうでもいいですが、個人的には1本数万円するワインよりも、1本4000円くらいのものが素直に1番おいしいと感じます。)

落書きは犯罪のはずですが、バンクシーの作品であれば讃えられてしまう。

バンクシーの作品だから、他の落書きとは違って保管しなきゃ!!
とわざわざ公共物を壊してまで、室内に飾るものではないことは間違いないはず。
美術館に行かないと見れないストリートアートってなんだよ。。

オークションでの作品をシュレッダーにかけるパフォーマンスばかりが話題になっていますが、あの場で作品を刻む意味を考えた人はどれくらいいるのでしょうか?

↑落書きと記念撮影する知事
落書き好きだっけ?ていうか、落書きって犯罪だよ?

日本で見つけられたこの絵の周りには、たくさんの人が集まっている様子が報道されていましたが、

一体何人の人が
その作品の形や色
なぜここに描かれたのか
そもそもなぜ落書きが肯定的に取り上げられているのか
などを感じて見ていたのでしょうか?

そしてもし、バンクシーの作品に値段がついていなかったら、一体何人の人がこの作品に足を止めていたでしょうか。 

あなたが見ているのは、目の前の作品ですか?
それとも、そこに込められた意味ですか?
はたまた、その後ろにある知名度やお金ですか?

とまあ最後は愚痴っぽくなってしまいましたが、
もの」よりも「こと」の価値の割合が高まっている時代です。

そして残念ながら、発信力のない一級職人より、技術は劣っても発信力のあるクリエイターの方が売れる時代なのです。(断じてバンクシーのアートそのものを否定しているわけではありません!!!)

「もの」も「こと」も溢れかえっているこの時代、

大切なのは、

ものをみることについておのおのが考える

ということなのかな。。

売れている」「有名である」=「いいもの」とは限らないということをまず一人ひとりが意識して、

「自分にとって」本当に「いいもの」を選び出すこと
が当たり前の時代になってほしいなぁ。

もちろん、ここまでの自分の考え方が正しい考え方とも言い切れないし、この部分については大いに議論の余地があると思います!!

ここまで読んでくださったあなたは、この問いについてどう考えますか?

締まりが悪いですが、今回はここまで!
この記事が皆さんの中で何か役に立ちますように。

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