木を植えた男
ある日、車での移動中にスマホからランダムに流れてきた音楽に耳が留まる。
木を植えた男。
私は、高校生の時の英語の教材にあった物語の中のセンテンスを思い出していた。(それは約30数年前、バブル期と呼ばれた時代のことです。)
詳しい全ストーリーや作者などは覚えていなかったけれど、ある男性が木を植え続けるストーリー。
その中に「木を植えることが自分の天命だと思いました。」というフレーズがあり(もちろん英語で)、それを訳した時の自分の感想だけを覚えている。
私は、「木を植えるだけでお金も稼がないで生きていけるなんて、のんきな人だなあ。」という、揶揄に近い気持ちを抱いていた。
高校時代の私は今思えば偏差値重視教育の渦の中に身を置いていた。各予備校が出してくる偏差値表を見ながら、少しでも偏差値が高い大学へ進学することを目指し、その後就職することだけを目指していた。
今思うと、目先の受験のことしか頭にない、知識不足の視野の狭い高校生だったことが恥ずかしい。
それから約30年が経った今、
「木を植えることが自分の天命だと思いました。」
このセンテンスが、たまたま耳に入った歌に呼び起されるとは思いもしなかった。損得勘定のないところになぜかしら自分の天命を感じることも、今なら理解できる気がする。
その話を友人にしたところ、フランスのフレデリック・バックさんのアニメーション作品(原作はジャン・ジオノさん)「木を植えた男」のことを教えてくれた。
MONKEY MAGICの「木を植えた男」は、2011年に日本で行われたフレデリック・バック展のイメージソングとしてその後楽曲が完成したらしい。
アニメーションもYOUTUBEで見てみた。
ある男性は不毛な荒れ地に黙々と種(どんぐり)を植え続ける。不毛な荒れ地では泉は枯れ、住む人々の心も荒れている。
やがて種は芽を出し成長する。時を経てその土地は、よい香りを穏やかな風が運び、豊かな水の沸く、素晴らしい森として蘇る。人々の心も蘇る。
ずっとずっと先の将来を見て、幸福でいるすべを見出し、黙々と木を植えた男性。
近年の日本国内に見る、洪水やがけ崩れなどのニュースに心が痛む。一市民の私も、否応なく木の保水の力を含めた環境問題について考えてしまう。30数年前の、目先のテストの点数だけを追いかけていた小さな自分に自戒の意味も込めて。
木を植えた男。
もしかしてそれは、30数年前に高校生に向けて撒かれた種だったのかもしれない。
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