レッテルを貼られることや決め付けられることが嫌い
今までの人生でレッテル貼りを幾度となくされてきました。どうせ〇〇なんだろと決めつけられるのは嫌いです。
それゆえ人を決め付けることはせずに生きてきました。自分がされて嫌ですから。
今回はレッテルを貼ることや決め付けることについて書いてみます。
趣味でどうせ〇〇と決めつけられた体験
私はサイクリングと楽器が趣味です。
サイクリングはここ10年で弱虫ペダルの影響もあって人気があがりましたが、以前は一部のマニアがやる趣味でした。
それゆえ人気があるスポーツをやっている人から、頭を使えないヤツがやるものだと見下されたこともありました。
スポーツをやっていない人からも、オタクとかダサい、痛いと言われましたし、みんなと違うことをやっているから非社交的だと言われたものです。
一昔前のアニメが好きな人も、オタクとか引きこもりというイメージを持たれたかもしれません。それと似たようなものです。
やっぱり世の中はモデルケースに忠実なこととかみんなと一緒であることが大事にされますから。
また私は楽器が趣味でセッションやバンドをやっています。しかしこれもカッコつけているとか気取っていると怒りを買ったことがありました。
なんで趣味で一々文句を言われなければいけないのか、みんなと同じ趣味をやれと怒られなければいけないのか納得がいかないのですが、社会がどういうものかを表している事象だと思います。
社歴や経験年数で決め付けられた体験
仕事に置いてもレッテル貼りはあります。一番よくあるのが、社歴が下だから立場も下と言われることです。
特に上下関係が厳しい会社では、下っ端の癖にとよく言われたものです。そして立場が下なんだから上の言うことを黙って聞けと怒られたものです。
会社にはどうしても階層があり、上下関係があり、上を敬うことが社会人の常識とされます。だからこういうこともやむを得ないことだと思います。
また経験年数も重要視されるものです。特に最近は転職が増えていますので、経験年数こそ労働者を測るバロメーターとなっています。
これについても、経験年数が少ない頃は「どうせザコだろ?」と言われたことが何度もありました。
でも私は経験年数が2~3倍の人に教えたり、1年目から5年とか10年やっている人に教えていたりしたんですけどね。
この案件では名だたる大企業の大規模プロジェクトで、経験年数が私の3倍くらいある人たちが全く手も足も出せないというので、私が標準を作りました。
そして経験年数が3倍もある人たちから質問されまくる側になりました。いちいちお伺いを立てられて大変だったのですが、好きにすればいいじゃんと思ったものです。
単純に経験年数が長ければ偉いわけでも、経験年数が短ければ愚かというわけでもないと思います。でもやっぱり経験年数は解りやすい指標なんですよね。
だから私は経験が浅い人からも意見を聞き、決して経験が少ないから愚かだと決めつけたりはしません。自分がされて嫌だったからです。
職業で決め付けられた体験
職業でも〇〇しか知らないでしょ?とか、どうせ無知だよね?という話があります。
私はITエンジニアをやっていますが、やりたくてやっているわけではありません。
とはいえITエンジニアという仕事はまだ世間に正しく認知されていないため、色々な勘違いがあります。
それについて書いた記事もあります。
あまり人を職業で決め付けない方がいいよなぁとも思います。
それでもレッテル貼りが便利がことがある
レッテル貼りの悪い面ばかり書いてきましたが、実は便利な面もあります。
人は分類することで素早く物事を理解できます。パターン認知ですね。
世の中には類似の事象とか類似の特性というものが存在しているため、パターンという捉え方はとても便利なのです。
また人は情報を整理するときにカテゴライズする習慣があります。カテゴライズすると、把握する必要がある情報量がとても減ります。
よって人をレッテルで決め付けることは悪いことですが、物事や情報の理解にはレッテル貼りが有効だったりします。
上手く使い分けていきたいものです。
終わりに
大事なことは人を決め付けないことではないでしょうか?
人はどうしても他人を見るときに、職業とかステータスで見てしまいがちです。
例えば営業職の人なら社交的、経理とかエンジニアなら几帳面というイメージを抱きがちです。
社長だと知るとかしこまってしまうこともあるでしょう。
学生だと言えば社会人から下に見られます。
でも人をそういう社会的な立場ではなく、その人の個性で見ることが本当は大事なんじゃないでしょうか?
それが上手くできるようになりたいなぁと思います。