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エリートになんかなれないという人は自分の個性を大事にしよう

私は高校すら行けない底辺の落ちこぼれだったので、エリートに対する憧れや劣等感がずっとありました。しかしこれは良くないなと考えるようになりました。

なぜエリートに対する憧れや劣等感が良くないのかについて書きます。

ほとんどの人はエリートになんかなれない

元から出来が違う人と比べても仕方ない

エリートとはその多くが元から出来が違う人たちです。小さい頃から学業成績・生活態度ともに優等生人生を歩み、いい大学を出ていい会社に入ります。

そして順調に出世(するとは限らないのが現実ですが…)していい給料をもらっている人たちです。上級国民なんて表現もありますね。

さらにはエリートは家柄がいいことが多いです。親がエリートであったり、地主であったり、国家機関の幹部であったりします。もちろん普通の家庭や貧しい家庭から成りあがる人も少数ながらいますが。

近年世界的に親の学歴・収入が子供の学歴・収入に大きく影響すると問題視されていますが、エリートには親が高学歴・高収入というケースが少なくないのです。

こうなってくると子供の頃から生活習慣や習い事が全然違うということになります。これでは敵いませんね。

能力やステータス、収入を羨むのは解ります。しかし誰でもなれるわけではありません。できないことを気にしてもしょうがないです。できることを気にしましょう(これが難しいわけですが)。

エリートは生き残りだって楽じゃない

もっというと、エリート候補だったのにどこかで挫折してしまう人だっているでしょう。例えば下記のようなことが考えられます(実際に見聞きした話です)。

・高偏差値の高校や大学に入ったらついていけなかった
・有名大企業に入ったけどブラックな上司に当たってしまった
・激務で潰れてしまった
・リストラされてしまった(大企業でも容赦なくやる時代ですから)
・会社が倒産してしまった(大企業でもありえますからね)
・出世競争に負けてしまった
・そもそも上が詰まっていて上がれない(成熟産業では順番待ちが起こりえます)

いい大学を出ていい会社に入った友人・知人は沢山いますが、上記のような壁にぶつかっている人も少なくないですし、会社では無難に生きてプライベートを楽しんでいる人もいます。

エリートとは傍目から見ると華やかですが、綺麗事の世界ではないですね。

幸せになるためにステータスは必須じゃない

ステータスなど地位財による幸せは長続きしません。給料が上がっても、慣れてしまえばもっと欲しいと思うようになります。

一方で学びを楽しむ、人に恵まれる、体験を楽しむなどの非地位財の方が幸せが長続きします。

地位財と非地位財については下記の記事に書いていますので、読んでみてください。

エリートさと個性は別物

子供の頃を振り返ってみてください。優等生は個性豊かだったでしょうか?人によると思います。真面目さゆえ広く人気があったかもしれません。

しかし真面目で生活態度もいい優等生よりも個性的な人はいたのでないでしょうか?

典型的な優等生と個性的な人、どちらが人間的に魅力的ですか?あなたはどちらになりたいですか?

個性がある人の周りには人が集まるでしょう。

個性豊かな方が楽しみが沢山ある

個性的で人間味がある人の周りには人が集まります。友達も沢山できるからプライベートも充実します。個性が強くても癖が強いとダメですが。

人間的魅力がある方が、ステータスや収入があるよりも人に恵まれます。だから生活も充実しますし、不平不満も少なくなります。

実際にいい大学を出ていい会社に入って高収入を得ている人でも、仕事の愚痴が多い人は沢山います。むしろ有名企業や高収入な仕事は綺麗事では済まされない苦労が沢山あるのでしょう。

終わりに

今回のタイトルは漫画のタイトルみたいになってしまいました。

しかし私は底辺の落ちこぼれであるがゆえにコンプレックスに悩み続けてきました。コンプレックスを頑張って解消しようと思いましたが、できませんでした。

そこでコンプレックスを違う方向で考えてみることにしました。そうして出てきたのが落ちこぼれであるがゆえに個性があるという考えです。

実際に仕事でもプライベートでも人には恵まれ、色々な人に協力してもらえます。能力はなくても人間的魅力があるということでしょう。

ステータスになんか囚われても、実現は困難です。私は劣等感からエリートみたいになろうと無理をして、沢山痛い目を見てきました。

エリートになれないという方は個性について考えてみてください。

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