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「指摘すること」は「叩くこと」じゃない。「違う意見を言うこと」は「文句を言うこと」じゃない。

有名人の発言が炎上している
インフルエンサーが叩かれて
フォロワーの多くない人もSNSで攻撃されている

イライラが溜まった時代とSNSが普及したことにより
毎日誰かが謝る所を目にする機会が増えたかもしれない

「他人ばかり叩いてないで、やれることをやろう」
「粗探しして文句ばかり言う人はミュートしよう」
「大変な時代だけどギスギスしないで仲良くやろう」
加速する炎上や叩く行為への反発として、止める意見も増えてきた

「細かいこと置いておいて仲良くしようぜ!」
そう言いたくなる気持ちはわからないでもない....
が、自分としては釘を刺しておきたい


「叩く」ことと「指摘する」ことは違います
「文句を言う」ことと「意見を表明する」ことは違うこと


個人への恨みや嫉妬からくる攻撃
社会に広まると困る考えを指摘することを
ひとまとめにして無くすのは危険です

何故なら社会に悪影響を及ぼす考え
例えば差別優生思想を増長する発言がされた時に
「まあまあ、そう叩かないで、やれることやりましょ」
と誰もが指摘しなくなった場合には
差別発言や優生思想が存在していいものとして
子供や次の世代の人は認識するからです

誰かが「あなた間違ってますよ」
歴史が「昔そのような事をして社会は悪くなりました」
指摘、修正しながら人類は繁栄してきました
大量虐殺が起きないように
不幸や不平等を減らすために法律を定め
人間社会を作っています

なので指摘すること間違っているかもしれない
誰かに指摘される可能性がある緊張感を持って
社会に参加し発言することは無くせないと考えます



それを踏まえた上で...「叩く」ことは
減った方が良いと感じています

その「叩く」ことと「指摘する」ことの違いって?
線引きするとしたら

・人格攻撃「叩く」
・システムや発言/行為への「指摘」


例を出すと....
人格攻撃
「あいつはバカだからそんなことを言うんだ」
「お金やフォロワーが多いから叩かれてざまあみろ

指摘
「有名人が"やれることをやろう"と言うと萎縮を生む、意見を言っても良い」
「差別発言だ、撤回したほうがいい」

ずっとnoteでも言ってますが
・人格を攻撃する
・人格と作品を紐付ける
・議論の時に負けそうになったら人格について言う
この人格攻撃がなくならない限り議論は出来ません
そして議論ができないことにより社会がアップデートされません

「ゆとり世代が!」「団塊世代が!」「男らしくない」
「女々しいこと言って」「リア充が」「オタクは」
「キモい」「老害だ」

上記のレッテル貼りや人格攻撃と
発言や行動への「指摘」を切り分けていきたいです



そしてもう一つはっきりさせておく必要があるのが


「文句」と「意見」の違い



日本では和を大切にすることが
個人個人が感じることを言うこと
より優先されるので拗れちゃってますが
人と違う意見を言ったとしても「文句」ではないのです

99人が思ったことを「正しいこと」だとして
残り1人が思った違うことも「正しいこと」なのです

99人が「正しい」と言い集まったら、1人が言ったことは
「正しくない」とされてしまう社会で言い続けるのは大変ですが
意見は人の数だけ存在して、並列に存在し、尊重されるべきです

・白か黒
・みんなが言っている
・自分だけ和を乱すな

こういう考えで育ってきた我々には
大勢が言っているらしい、常識や、慣習以外のことを
言い続けて和を乱す人のことを
「文句」を言ってる人
と扱ってしまいがちですが
単純に「少数派の意見」です

文句とは

不平不満や苦情、愚痴などを口に出すことを意味する表現。

協調性や和を大切にし、調整をしてきた人にとっては
自分や所属する組織と違う意見を聞いた時に
「不平不満」を言われたと思うかもしれません

同じ色の制服、スーツとネクタイ、同じ流行のファッション
周りから浮かないように、目立つ人にならないようにしてる
人にとって自分や周りの意見と違う言葉は攻撃に聞こえるかも
しれません....

でも自分と違う意見も存在するのです
当たり前のことを言っていますが
自分と違う意見も存在していいのです

だからTwitterなどで愚痴や不平不満を言ってる奴多いな
不快だな...と思うかもしれません

でもSNSで違う意見の人がいることが可視化されただけです

文句や愚痴じゃなくて異なる意見です

政治や社会のシステムについて言及すること
批判することは文句でも不平不満でもありません

社会や身近なことでおかしいなと感じたこと
良くないな、減らしたいなと思うことに声を上げることは
愚痴でも文句でもありません


意見の表明です


意見を言うことは税金を多く収めた人が言えること
地位や収入が高い人だけが言えることでもありません
社会に参加する全員が声を上げていいことです

現段階では法律や投票で決まっていることですが
少数派がずっと我慢する固定的な制度ではなく
変えていけるものなのです

今、固定しちゃってるだけ

「でも前を向いて進むしかない。」
「不平不満を言うより、自分を変えていくほうが結果がでる」
「自分ができることは、ひたすら〇〇するだけ」
わけがない!

影響力のある人が「声を上げるより我慢する」
「制度やシステムに口を出すより自分の仕事だけをやる」
みたいなことを言い続けたらそれを見た若者も
同じこと思ってしまう

現状固定してるだけで、自分の力で所属する社会のシステムを
変える権利を持ってるのに、諦めさせる発言は看過できない

そう思い毎回指摘しても、声を上げないことを良しとする流れ
変わらないだろうとも感じている

「好きなモノや好きな人についてだけ語り、拡散していけば
素敵でストレスの少ない世の中になる」
そう本気で思い込み、自分と異なる意見はミュートし
ネガティブな意見も触れないで拡散しなければいずれ消えてゆく...
そんな考えの動きもあるから

自分にとって心地の良いものだけを拡散し
異なる異物は見て見ぬ振りをし
指摘をしないで放置した結果が
甘やかされたインフルエンサーの炎上発言に帰結してるのではないか

状況はよくならないだろうけど
意見や指摘文句や愚痴に矮小化し
個人の発言を減らす人がいるので
線を引きました




「でも前を向いて進むしかない。」
「不平不満を言うより、自分を変えていくほうが結果がでる」
「自分ができることは、ひたすら〇〇するだけ」
この前時代的な考えが少数派になることはあるかな


もう議論とか無理だよな
SNSとかで指摘するの諦めたくなるよな

好感度が下がらない
フォロワー減らない
当たり障りのない
利益と評価を優先した

経済優先型アカウントになるのもわかるよ
そろそろ自分も意見とか言わなくなるかも


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