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エッセイ248.(あっちの)おうちでもロスト・イン・トランスレーション(19)

私は、日本語教師は、もし時間があるならば、
最低一つは英語以外の外国語を勉強してみるべきだと考えています。

私たちは中学生の頃から曲がりなりにも英語に触れていますので、
ときどきはなんとなく、「今、わかった」という気がしたり、
実際にある程度わかったり、短い文なら喋れたり、また、
もっと頑張ればもっとなんとかなるように感じたりします。

けれど、全く未知の言葉を習おうとすると、すぐに突き当たることですが、
やる気満々で頑張っていても、新しい文法がどんどん出てきてついていけない。
言葉は覚えたそばから忘れてしまう。
話すチャンスが来ても、最初の一言が出てこなくて、ぐっと詰まってしまう。
・・そんなことの連続です。

そういう経験をしていますので、
生徒の気持ちや焦りを、私もとてもよく理解できるのでした。

生徒の中には、日本語レッスンを始める前に、

「文法ではなく、カンバセーショナルな日本語を教えてください」

と言ってくる人は結構多いですが、
それは階段の最初の十段のない階段の下に立って、

でもすぐに、2階にのぼらせてください

と言っているようなものです。

日本語教師としては、気持ちはよくわかりますが、

「それは無理ですね。
でも1レッスンの中で必ず、今日から使えることを教えます。
文法的なことは、ロールプレイの中に入れ込んでいきますから、
ちょっと我慢してください」

と言って、はやる気持ちをなだめるようにしています。


そんな私も、3年ぶりの帰省で英語だけの環境に浸かりまして、
かなり辛い、疲れる経験をしました。

相手がこちらのレベルを分かってくれて
合わせてくれて、はっきり話してくれている限りは良いのですが、
そうでないともう、散々です。

そして、そうでないときのほうが、断然多いです。

そういえば義父母と話していたときは、話が弾みました。
ついていけなくて、ぼ〜っとしている、ということがなかったです。
それはもちろん二人が、
私が外国人であって、聞き取りや理解にも限度があることを分かっていて、
易しい英語でゆっくりと話してくれたからです。
二人と話していると、自分の英語力が上がった錯覚をしてしまうのでした。

今回の帰省はそうではありません。
食事は大体、6人から10人ぐらいのグループで、わいわい話が弾みます。

英語の教科書のように、一人が話し終わると他の人が話し出すはずはなく、
あっちからもこっちからも、話につっこんだり、遮ったり、
急にあっちで盛り上がっていたり、あっという間に別の話になっていたり。
そういうときが、やはり一番辛いですね。

夫に辛さを訴えると、

それは僕の日本での毎日だよ!

と、朗らかに答えます。
メンタル強い夫、すごいと思います。

今思うと笑うのですが、子供がまだいなかった時代の帰省では、
私はよく、パーティでは犬とか猫に遊んでもらっていました。

ぼーっとして、目の座った感じのアジア人の奥さんが固まっているのは、
そこにいる人にとっては、気伏せなのではないか。

自分自身も恥ずかしいし、いたたまれません。

頼りの夫は、私の全然知らない親戚や友達と、
自由自在に英語を操って(当たり前)、楽しそうに話している。

お母さんのエプロンをしっかり握って、
そこに黙っている幼児のようなふるまいは許されません。

そこで私は一生懸命、

「ものすごく犬(いれば、猫)が好きな人」のふりをして、
いつ果てるともわからないパーティの時間を、
ヘソ天になって喜んでいる犬猫のお腹を撫でてすごしていました。

あ、ペットが鶏や羊や山羊であった場合は、本気で面白いので、
楽しく遊びましたが・・。

ペットがいるご家庭が多いニュージーランドですが、
いない家ももちろんありますので、
そんなとき私はどうやって過ごしていたのでしょうか。
辛すぎたのか、全然思い出せないのも、情けないことです。


幸いにして帰省3回目ぐらいから、子供を連れて行くようになりましたので、
間がもつようになりまして、ありがたかったです。

え? おっぱいなの? はいはい・・

と席を外したり、子供を寝かしつけに行きながら自分もフェイドアウト。

え? サンドイッチが食べたいって?
しかたないなぁ、失礼します・・

なんていうことで、苦手な集いから逃げ出すことができました。

私は今回は、開き直ることができてきたようで
泊めてもらっていた義妹一家には、

「私、みんなの話していることについていけないことがよくあるの」

と言っておきました。

姪がヨガ講師で、ヒーリングセッションをやってくれたのですが、
なにかリクエストがある?
と訊いてくれたので、言いました。

「あります。難しい言葉を避けて、幼稚園児がわかるような英語でお願いね」

「え〜、tamadocaおばさんて、そうなの?
全部わかってるんじゃないの?」

とびっくりされました。

「違います。わかってません、と言わないだけだよ」

と言いました。
おかげで、ヒーリング中の語りや指示は、全部わかりました。


そう、名古屋の自宅でもしょっちゅう夫とのコミュニケーションでロストですが、
あっちのお家でも、ロスト・イン・トランスレーション。

今回わかったことですが、私の英語というのはご多聞に洩れず、
聞く力が、話す力より、ずーっと弱いのでした。
自分が喋りたいことは、知っている言葉を表現と文法で喋ることができるので、
本人も不自由な感じを抱いていないだけ。
かたや、聞く方は、相手のネイティブの語彙・イディオム・フレーズ、カジュアルさで話してくれますので、理解度が著しくダウンするというわけなのでした。

夫は帰省するとよく、

いや〜、やっぱり自由に言いたいことが言えるのは楽しいな!

と言うのですが、それはとりもなおさず、
ほぼ唯一の話し相手である私に、
夫がレベルを合わせてくれているということなのです。

夫よ28年ありがとう。
たまにですが、とても感謝しています!

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。