釣り

父は北陸、母は九州の出身である。夏になると母の実家に遊びに行った。母の実家は海の近くで、祖父が漁師であった。母は4人姉妹で、姉、妹、弟がいた。姉(伯母)には2人の子ども(男・女)、妹(伯母)には4人の子ども(男1・女3)がいた。私が幼稚園の頃は、男1・女3のいとこに会うことが楽しみであった。

九州へは、いろいろな方法で行った。夜行列車または飛行機に乗り、さらに電車に乗って、さらに船に乗るという過酷な移動距離と移動時間、移動方法だった。どれだけ「どこでもドア」が欲しいと思ったことだろう。母の実家はとても楽しかったが、そこに行くまではとにかく苦痛だった。逆に帰りは、帰るのは嫌だったが、あまり大変だとは思わなかったのが不思議である。少なくとも、母の実家にずっと住みたいとは思えないくらい田舎であった。

母の実家の前が海なので、いつも海で遊んでいた。浜にある石を動かせばカニが出てきた。田んぼには多くのカエルがいた。盆を過ぎると夕方には多くのトンボが出てくる。生き物はたくさんいたが、私の記憶で一番なものは海の香りである。今でも海に行くと、その時の香りを思い出し、幸せな気分になる。私の子どもたちにも、いろいろな経験をさせたいとつくづく思う。

海が近いので、よく子供たちで釣りに行った。竹竿に糸を付けて、おもりと針を付けた簡単な釣竿を伯父に作ってもらった。エサは、夕食に出る刺身の残りである。その当時は、漁港が整備されていなかったので、竹で作られた桟橋の上から釣竿を垂らして、カサゴやベラを釣っていた。桟橋はきれいなものはほとんどなく、さらに高さが防波堤くらいあったので、おそらく干潮時は3~4mはあっただろう。満潮になれば海面が桟橋から1~2mくらいの高さになった。ところどころ竹が折れたり、間が空いてたりしていた。それでも子供が乗る分には問題はなかった。今では、子どもがいる私では、「危ないからそこに行くな」と子供たちに言いそうである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?