寅子の怒り~朝ドラ「虎に翼」より~
放映中のNHKの朝ドラ「虎に翼」が面白い。
朝からいろいろな感情が喚起される。
(以下、ネタバレを含みます。あらすじ等は省略するので視聴していない方には不明な内容であることをあらかじめお詫びいたします)
さて、今朝(7/4木)の放送では、寅子が恩師である穂高先生にガチギレする姿が印象的だった。
「感謝はしているけど、許さない」
この強烈なセリフに驚いた視聴者も多いと思う。
実際、ネット上にも寅ちゃんがなぜそこまで穂高先生にキレているのか分からないという声も多い。
それは明日以降の放送で明らかになると思うけど、ちょっと私見(というか、今日の放送からインスパイアされたこと)について書いてみたいと思う。
まず寅子自身も、なぜあそこまで穂高先生に怒っているのか、自分でも分からないんじゃないかと私は思っている。自分でも整理できていない怒りは時として理不尽な形で暴発する。寅子が穂高先生に対して抱いている感情はそれほどに複合的な感情だからだ。
①寅子は「女性が個として生きにくい時代」そのものに怒っていて、その怒りを穂高先生に投影している。
②寅子の怒りようは、親に対するソレと似通っているところがある。
③これまで負ってきた傷を十分にケアできずに、ここまで来てしまったことに直面させられた。
④許しを乞う相手(反省する相手)を前にすると、許しを受け入れる側に立たされるから、そんなに簡単に謝らないでほしい。
ざっくり考えて、この4つくらいのものが怒りの中に含まれているのだろうと考えた(順不同)。
①「女性が個として生きにくい時代」への怒りを穂高先生に投影している
長い間、女性が「すん」としていることに「はて?」と疑問を抱きつつ、育った寅子。彼女にとって、穂高先生は初めて自分の話を聴いてくれた、つまり自分を個として承認してくれた「親」のような、「開かれた社会の幕開けを知らせる鐘」のような存在だった。事実、穂高先生は多少の打算を含みつつも、寅子を教え子として可愛がっていた部分もあった。
そのため、穂高先生のことを尊敬し、どこか神格化(希望を託せる相手と)して見ていたのだろうと思う。しかし、自身も大人になるにつれ、その希望は現実に駆逐されていく。
穂高先生は悪意を持って寅子を裏切ったわけではない、むしろ良かれと思ってしたことが、彼女を傷つけることにもなっていった。この寅子の傷つきを身勝手な傷つきと見る人もいるかもしれないけど、実際に寅子は傷ついていた。
穂高先生にだけではない、時代背景そのものが彼女の行く手を阻み、救世主かと思われた穂高先生を俗人化し、彼女の希望は削られていった。だから穂高先生にだけではなく、彼女の生きる時代そのものに彼女は深く傷つけられてきたし、今も傷ついている。
でも、時代という実体のないものにガチギレすることはできない。だからこそ、その怒りを向けるリアルな矛先として、穂高先生にガチギレしてしまった。そうなりそうな予感がしたから(未消化な怒りが身体に蓄積されているのが分かっているから)寅子はパーティーに出席したくなかったのだ。
②寅子の怒りようは、親に対するソレと似通っている
自分に背負いきれないものに対する怒りを、誰かに理不尽に向けてしまうのは、ある種の「甘え」と言えるかもしれない。そういった意味で、親子間に生じるガチギレと寅子のソレはどこか似通っている気もする。それくらい彼女は穂高先生を頼りにしてきたし、社会の良心でいてほしかったのだ。
なぜ穂高先生にそこまで期待したか?
それは彼女自身が自分は非力だと痛感しながら生きてきたからだ。
男性に比べると、女性の意見は力を持たない。賢い女性は疎まれる。
でも、先生は違う。男性だし、地位も名誉もある。発言力だってある。
女子部を作ることができたということは、作った責任だってあるということ。
産んだ責任を親に問うのに似た心理、と言えるかも。
③これまで負ってきた傷を十分にケアできず来た
懸命に頑張ってはいるけれど、女である自分には到底たどりつけない場所がある。
そういった理不尽さの中で、寅子は自分に生じた傷や怒りを十分にケアすることができなかった。なぜなら、最愛の人である優三は戦死し、両親が亡くなり、自分をケアすることよりも一家の大黒柱として、唯一の女性裁判官として、やるべきことが山積しているから。
自分をケアしてくれる相手も、自分をケアする時間も寅子にはないまま、ここまで来てしまった。寅子の中にいる「傷ついた自分」はネグレクトされ、放置され、蓋をされて、なかったことにされてきた。
そういう未消化な怒りは、誰かとの関係をこじらせ、時に暴発するのだ。
今朝の寅子のガチギレは、こういう成分で出来ているのではないかと思う。
④そんなに簡単に謝らないでほしい
で、もう一つ視聴者を困惑させたのは
穂高先生があいさつの中で、反省の弁を述べたことに寅子がガチギレしている
ということではないだろうか。
ここで「謝られる」ということについて考えてみたい。
誰かに腹を立てている場合
相手から謝られるということは、相手から謝罪のバトンを差し出される立場に置かれるということだ。
つまり、そのバトンを受け取る(許す)か、受け取らない(許さない)のかの選択を一方的に迫られる。
「このバトンを受け取るかどうかはあなた次第ですよ」
もちろん、拒否することもできる。
でも、私たちは「謝罪を受け入れないのは大人げない」と無意識に刷り込まれているので、そのバトンを受け取らないという選択には良心の呵責や周囲からの圧を感じざるを得ない。
バトンを受け取れば、これまでのことは「水に流される」。
そんな簡単なことではないのに…という葛藤にさらされた時、
時に相手を「ずるい」と感じてガチギレしてしまうこともあるのだ。
「私は謝りませんよ」穂高先生に彼女はそう言い放つ。すんとしている大人なら、自分からも謝って歩み寄る場面であろうことが、彼女には痛いくらいに分かっているから。
自分でも訳が分からない複合的な怒りを抱いている(でも、無意識では自分でも不合理な怒り=一部は八つ当たり的怒り だとうっすら分かっている)相手から反省の態度や謝罪を受けるということ。
そのことが寅子に大きな葛藤を与えて、ガチギレしてしまったんじゃないかと思う。
このガチギレ事件、ドラマの中でどこに着地していくのか
明日からも楽しみだ。