通帳繰り越し機に馳せる思い
約2年ぶりに通帳記帳した。
残ページが少なかったため繰り越して新しい通帳をもらった。
なんとなく気分がよいものだ。
思えば、この2年でさらに現金を使う機会も減った。
必然的に現金を引き出す機会も減った。
いつのころから、通帳よりもクレジットカードの利用明細を見て生活を実感するようになっていた。
もちろん基本的には、口座にお金が入っていなければクレジットカードも使えないわけだが、入ってくる金額は大きく増えていないので、出ていく方を見るだけで生活上のお金のやりくりは問題ない。
そうなったのも、現金をほとんど使わず、ほとんどクレジットカード決済にしているからだ。水道、光熱費もカード引き落とし。
スマホもサブスクもカード引き落とし。
買い物もカードまたはQRコード決済。
現金は他に決済手段がない場合の最後の一手。
ここまでいくと、銀行通帳に給与振り込みとカード会社からの引き落としが交互に明細を埋めていく。
そのきれいなキャッチボールにたまに混ざる現金引き出し。
今の自分の通帳とは味気ない。
昔は、ありがたく振り込まれる給与と計算しつくされた現金の引き出し、少しばかりの貯金を見て楽しんでいたのに。
キャッシュカードは打ち出の小槌、通帳は現実世界と一喜一憂したものだ。
あらためて通帳を見ると、お金がリアルに感じられる。
バーチャルな信用取引よりも現金を使うことは責任を感じられる。
いつかこのフィジカルに存在する銀行通帳もなくなってしまうのだろうか。
そうなったら、わたしはお金の価値を本当に感じられるのだろうか。
数え間違いようのない桁数の残高を大切にしようと思った。
お願いだから無くならないでくれ、通帳繰り越し機よ。
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都会で実践できる農ライフ、読書、ドイツ語、家族などについて「なぜかちょっと気になる」駄文・散文を書いています。お読みいただき、あなたの中に新しい何かが芽生えたら、その芽に水をやるつもりでスキ、コメント、ほんの少しのサポートいただけると嬉しいです。