国民国家と民主主義、君主制についての私見
先日、ナイジェリアの大使がエチオピアに君主制の再導入を提案した、という話をTwitterで目にしました。記事を紹介してくれた方のツイートや、元記事の機械翻訳だけでは、この提案がどのような性格のものか、政府間の正式な申し入れなのか、個人的にメディアに寄稿したものかよくわかりませんでした。またこの「大使」が、駐エチオピアのナイジェリア大使なのか、他の大使なのかもわかりませんでした。
まあ普段なら「そういう話もあるのか」と流してしまう程度のツイートなのですが、今まで考えていた民主主義と国民国家というテーマにリンクする部分があったので、ここで自分への覚えとして今まで考えたことを纏めてみたいと思います。
国民国家という言葉に対して、進歩的とされる政治性向のある方の中には拒否感を持つ方もいるのではないかと思います。国民国家は国家エゴを齎す元凶であり、克服されるべきものであると。そのような性質が存在するのは確かですが、僕は国民国家は民主主義を機能させる前提であり、人類が国民国家よりも優れた政治体制にたどり着くのには、まだまだ長い道のりを要するのではないかと考えています。
国民国家が何故、民主主義の前提となるのか。民主主義とは話し合いと妥協により最終的には多数決で物事が決まっていく政体だとして、多数決で少数派となった人々はいかにしてその結果を受け入れることになるのか。それには「みんなで決めたことだから」として納得するだけの、最低限の仲間意識が存在しなくてはならないと考えます。
仮に尖閣諸島の帰属を「民主的に」投票で決めるとなったとして、全中国人と全日本人にそれぞれ1票となったと想像してみてください。我々日本人の立場では、疑いなく日本に帰属してる島を数の暴力で奪われたとしか思えないでしょう。
民主主義を導入しながら破綻してしまう多くの国々で起こっているのはこういう事なのだと思います。合意を形成するための話し合いに無限の時間を費やすことができない以上、どこかで多数決による採択が必要となります。ここで国民意識という最低限の仲間意識がなければ、意見を認められなかった少数派は納得することができません。民主的プロセスでの決定に納得できない人々は究極的には暴力による解決を試みることになるでしょう。
世界が近世から近代へと移り変わる歴史の流れの中で、列強とされる国々は封建制または絶対王政を脱して国民国家へ変貌していきました。フランス革命とナポレオン戦争を通じて大陸ヨーロッパの諸国に「国民」の意識が芽生え、19世紀の後半にはドイツ・イタリアの統一で、民族をベースとした国民国家がヨーロッパの主流となります。同じ頃日本も国民国家へと舵を切りました。
第1次世界大戦を経て、中東欧にも「民族自決」を元に中小の国民国家が成立。更にトルコも敗戦をバネに旧態依然とした帝国を脱して国民国家への道を進み始めました。
イギリス以外の多くの国では「国民」の創造は、社会の近代化の一環としてかなり意図的に進められたと思います。教育と宣伝と社会制度の整備を通じて人々の国民意識が涵養されました。その目的は民主主義の前提としての「国民」を創出することではなく、むしろ愛国心を持った国民による軍隊だったこと。それが結局は2回の世界大戦に繋がったことは、国民国家というものへの不信感の最大の原因だと推測します。また国民への統合が難しい民族的なマイノリティへの排除・抑圧、それはホロコーストを最大のものとしますが、国民国家を志した国では必ずあったことも、忘れてはいけない暗部だといえるでしょう。
それでもなお僕は国民国家の形成は民主主義のために必要であったと考えています。国民概念が存在しない状態での民主主義は地域、人種、宗教、文化、思想などによるエゴのぶつかり合いにしかならず、多くの人々の不満を暴力沙汰にならないレベル、暴力沙汰が起こってもそれを突発的な事件に収めて社会の永続的な分断にならないレベルに留めることは不可能ではないかと思います。
かつてビジネス界で波乱を起こした某氏が国民国家はフィクションだとSNSで発言したのを目にしたことがあります。この人は世界のどこへ行っても自分の力で勝負する自信があるのだろうと思いました。しかしほとんどの人はそうではないでしょう。
国民国家がフィクションであることには完全に同意です。しかしほとんどの人々にとって、国民概念がもたらす緩やかな連帯感は必要なフィクションです。
さて国内の人々を連帯感の元に統合する国民意識をどの様に作り出すか。一番単純なのは民族をベースにする方法です。これは多くの国々で行われています。同じ言葉で同じ文化を共有する、論理だけでなく感覚でもわかりあえる仲間というわけです。解りやすく、妥当性を感じやすい方法です。
一方でこれは国内にいる民族的なマイノリティをどのように扱うか、という問題に直面します。本邦においてもアイヌの人々に対し強引な同化政策が行われましたが、他国においても民族の尊厳を無視した同化政策や虐殺をも含む迫害が行われたケースがあります。
逆に民族に基づく国民の形成が進むと、国外にいる同民族が視野に入ってきて、それらの人々の住む土地も自国に統合されるべきという思考から、他国の領土に対する野心が国民の中に広まることもあります。前世紀には多くの国々が「大〇〇主義」を唱えて国外に領有権を主張しました。
アメリカ合衆国は最初はWASPの国として誕生しましたが、多民族国家へと変容しました。日本からは他民族にわたる国民意識の形成にある程度成功しているように見えますが、人種間の対立、支持政党での対立もまた目立っています。民主主義の国家で、民族をベースとせずに「国民」を作り上げた点についてはアメリカとそこに住む人々は称賛されるべきだと思います。彼らが事あるごとにUSA!USA!を連呼したり、国旗や国章を強く意識しているところを見せたりするのも、「国民」統合の拠り所という意味があるのかもしれません。
そう言えばUSA!コールがいつから、というのも先日Twitterで見かけました。
このツイートが正しければ、USA!コールは公民権運動が一段落したあたりで生まれたことになり、USA!コールはアメリカの人々が人種を超えて仲間意識を育むためのもの、という僕の思い付きも大きく外してはいないのではないか、という気になってきます。
さて、アメリカ以外の国家では民族をベースとして国民意識が形成され、アメリカにおいては国家を強く意識させることで国民を形成したと、自分が考えていることを述べてきました。アメリカ以外の多民族国家については、例えばインドなどは一応ヒンドゥー教という共通項があるように思えますが、イスラム教徒もけっこういるので、国民意識がどうなっているのかかなり興味があります。
ここで最初の話題に戻ります。他民族を一つの国民に統合する手段として、君主制が一つの解決策となり得るというのは、自らが君主制の国家で民主的な社会を営んでいる我々日本人には比較的理解しやすい概念だと思います。日本国憲法にあるとおり、天皇は国家と国民統合の象徴です。
80もの民族集団に別れ、民族の違いに基づく紛争を続けてきたエチオピアが民族の違いを乗り越えて一つの国民としての意識を作り出すためには、国内の多くのグループから敬意を払われ、敵意を受けにくい人物を君主として国民の象徴に据える。逆に言えばこれくらいしかエチオピアを国民国家として纏める手段がないと考えられているのかもしれません。
問題はそんな君主にふさわしい人物がいるのか、誰を君主に据えるべきかでしょう。かつての皇帝の子孫か、エチオピア正教会の関係者か、それとも提案者のナイジェリア大使には誰か候補者がいるのか。いずれにしても新たに君主となった人物が、目論見通り国民からの敬意を受けて、国民統合の象徴となれるのか、いろいろと考えさせられます。
日本人の感覚では天皇の権威の源泉は、ずっと昔から、歴史と神話の境よりも更に昔から、世襲が続いていたということに他なりません(故に日本では万世一系が強調されますが、実際にはヨーロッパの王室であれば別の王朝とみなされるような継承も幾度もしていますが)。
この日本人の感覚だと、君主制が存在しなかったところから、新たに君主を選び出すということが、奇異に感じられます。エチオピアについてはハイレ・セラシエ帝の子孫以外の選択肢はうまく想像できない感があります。
ですがヨーロッパの歴史に目を転じれば、各国の皇族・王族・諸侯はほぼ何らかの血縁関係があるため、外国から君主を招聘したり、他国の君主に兼任してもらったりする例も多く、その場合その国の言葉を話せない君主も珍しくありません。そのような外来の王朝が短命かと言えば、そうでもないのが面白いところです。
エチオピアに君主制を再導入するという提案が採用されそれがうまく機能するならば、それはエチオピアに平和が齎されるだけでなく、国外にいる人間にとっては「新しい伝統」の誕生を観察する機会となるでしょう。また国民の統合を達成できずに悩む多くの国々に一つの解決策を提示することにもつながるかもしれません(エチオピアでうまくいっても、他の国ではボカサのように独裁者が君主になろうとするケースがでてきそうですが)。
長々と書いてはまいりましたが、エチオピアの君主制再導入の提案、実現可能性の高い提案とは思えないものの、実現したら色々興味深い知見が得られそうです。とは言え、一国の運命がかかっているので、いたずらに面白がってばかりはいられません。最初のツイートから元になった記事を辿ると、エチオピアが安定しない場合、アフリカ連合による平和維持軍の駐屯も示唆されているようなのでなおさらです。
この件に関し続報があるのか、少しだけアンテナを高くしておこうと思います。
ヘッダーの画像は手持ちのエチオピアのコイン。肖像は画像検索したところ、メネリク2世らしいのですが、確証がありません。
長くて取り留めのない記事になりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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