【ネタバレ】シン・エヴァンゲリオン感想書きなぐり文【序】
シン・エヴァンゲリオン公開後の初見での感想文
と言う名の弔事的ななにか。
インターネット上では箝口令が敷かれていて、まあそれもそうだなと思いつつもう少し時間がおいてから感想文書こうと思ったけどほとばしる熱いパトス的なアレが湧き上がってきたので忘れないうちに。
個人的なエヴァーとの初対面はアニメ大好きキッズだった小学校生時代まで遡る、学校行く前の朝のアニメタイムに始まって観始めてしまったのが運の尽きだ。 私の住んでいる地域では朝放送だった。
「しまじろう」とかの子供向けアニメの時間帯に放送されていたのでそのノリで見てしまった衝撃的だった、なんかとんでもないもんを見てしまったと。
見たこともないメカ描写、サブリミナル的に展開される専門用語、なんか猫背で気持ち悪いけれどもヌルヌル動くロボット。
小学生で旧劇場版まで見に行ったり、多感な時期にあんなものを見せられてはそれ以降のことはご想像どおり。
中学生くらいまでは熱心にエヴァーファンをしていたように思う。
ちなみに新劇場版シリーズは全部公開後に金曜ロードショーか何かで見たので当時は個人的なエヴァーブームは割と冷めていたんだろうと思う。
ただ今回の完結編に関しては幼少期に楽しませてもらった身として、またかつての社会現象、言葉を借りるならインパクトの最後としてエヴァンゲリオンという物語の一応の完結を看取る見届ける必要があるのかもと思ったので初日に劇場に足を運ぶ事にした、緊急事態宣言が開け20時以降の営業も可能となったレイトショーで。
以下ネタバレ
さて、本題の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の感想ではあるけれども、正直な話期待通りの出来だった。
この「期待」どおりという「期待」はどっちの意味にとってもらっても構わないし、もっと言うなら自分でもネガなのかポジなのかわからないし皮肉なのかもしれない。
ただとてもキレイに丁寧にまとめてくれたのだなとは思うし、そのまとめ方に関しても先程の「期待」どおりと思ってしまっている。
ただ元々情報過多で書き割りな作品ではあるし如何様にも解釈は可能である、しかし今回の作品についてはいつも以上にメタファーやメタ、異なる位相での見方が要求されるようにも思えた、素直に受け取ることもできるし穿って見てしまうこともできる、スルメのような作品だ。
現在初見で、腑に落としている最中なので表現がおかしなところがあるのはご容赦を。
まずは庵野監督25年間お疲れさまでした、四半世紀に渡るエヴァンゲリオンを完結させてくれてありがとう。
エヴァンゲリオンという物語は庵野秀明という映画監督の私小説でもあた。
アニメーションという技法において、多くのスタッフや関係者が制作に関わっていることは承知だが、エヴァンゲリオンは庵野秀明がいなければ成立しない、生まれなかった物語であるというのは言い過ぎではないように思う。
そして庵野秀明とは優れた映像作家であると同時に、その実根っからのおたくであり、映像のコラージュニストで引用の名人でもある、これは私が個人的に認識している庵野秀明像。
そしてエヴァンゲリオンを生み出したアニメ監督であり、そのエヴァンゲリオンで社会現象を起こした張本人。
その庵野秀明が大きくなりすぎ、それこそ「神話」になってしまったエヴァンゲリオンという物語にどのように決着をつけるのかが実際今回一番の興 味ポイント、そしてまた純粋に新しい庵野監督による作品として楽しもうと思った。
エヴァンゲリオンは難解な専門用語や登場キャラクターたちの心理描写、緻密なメカ表現、特殊な映像や演出など、これまでに見せられたことないような様々なものを私達に見せ魅了してきた。
ただ色々と成長するに従い色々なものが見えてきた。
具体的には、エヴァ制作の裏話的なものスケジュール関係とか放送終了後から鬱になっていたとか、エヴァの謎とか解説的なものとかオカルト的なものとか、 エヴァ以外の面白いものとかに目を取られて夢中になるとか。
ここでもう一度改めて告白するけれども、エヴァを看取りに劇場まで足を運んだ。
エヴァが終わると聞いて、どうやって終わらせるのか、またそれにふさわしい奇抜な引用や巧みな演出技術、こだわり抜いたディテールカッコいい映像表現を見せてくれるのかと期待して見に行った。
下に箇条書きにしているもの、これはエヴァ公開前日に私のとあるアカウントでネタとして投稿したものです。
エバー予想
1,上空に巨大な照明器具
2,ガフの扉が開き現代の渋谷へ出ていく。
3,ラスボスは三次元人
右,日曜日から抜け出せる。
4,全部VRゲームの世界でゲームも人生だよとかおとなになれとか。
5,シンジが書き割りやスタジオのドアをなぎ倒して現代の北品川を走り去る。
6,猫箱。
本当にネタ。
これに笑ってくれる人いたらいいなぁ的な軽い気持ちで書いたツイット。
それぞれ簡潔に解説する。
1,ビッグ・オー アニメ、物語終盤で登場人物たちは巨大なセットに住んでいることを知る。
2,蜷川幸雄演出版身毒丸 お芝居、色々あった末にクライマックスで演者が舞台中央の搬入口より現代の街へ逃げ出す。
3,勇者特急マイトガイン アニメ、世界は三次元人が楽しむために作り出し主人公たち二次元人たちを支配していた。
4,ヘボット 緻密な多層次元描写とループをテーマとしたギャグアニメ、最終回で自分たちは日曜日のみ存在していることを知るが...。
4,ドラゴンクエストユアストーリー 映画 ドラゴンクエストVの映画化として公開されたが...。
5,幕末太陽傳 映画、没になった幻のエンディングとして、色々あった末主人公がセットが組まれているスタジオを飛び出し現代の街を走り抜ける、その道中には幕末の登場人物たちが現代の衣装を着て佇んでいる。
たびたび庵野監督がエヴァの最終回でこれをやりたかったと述べている。
6、うみねこのなく頃に 同人ゲーム 孤島の館で起こる密室殺人事件をテーマとしたループものミステリ。 上位次元の魔女や探偵などが推理合戦を行う、下位次元において明かされるハズのその惨劇の真相はあまりにも恐ろしく悲しいことなので明かせない。 箱の中の猫は死んでるのか生きてるのか。
このネタの共通点はメタフィクションものである。
その表現する手法や現実世界のアクセス手段や次元の位相の扱いなどに差異はあるが、個人的に当たらずとも遠からずとなっているのがなんかやるせない。
メタ表現ってそんなに表現として手数が少ないのか、私がそんなメタ作品をかじっていないのか結果的に同じに見えてしまうのかわからないけれども、なんかアレって感じ。
実写の宇部新川駅を飛び出すマリとシンジ、エヴァンゲリオンを制作していると思しき特撮スタジオ、ループし積極的干渉する渚カヲル、2次元人の機転によりルールに干渉するために生成されたスゴスゴインダーネジ、数々のミスティックアイテム効果は猫箱。 繰り返し意識させる「大人になれ」というメッセージ。
とりあえず羅列。
そういえばうみねこのなく頃にを書いていた時の原作者もいつかの庵野監督とかぶるような...。
メタ表現はともかくとして、私はこの作品をエヴァという作品を取り巻くメタファーとして見られるものが散見されるように思われた。
個人的には映画としてこちらの方を評価している。
Aパートにおける第三村での生活、第三村はニアサーを生き抜いた人々がヴィレの下部組織Kreditの配給や補助によって助けられながらも、自らの手でほそぼそと生活する拠点。
バラック小屋のような昭和の下町を彷彿とさせるその光景に戦後の日本のようだという感想もちらちら見うけられ、私はその戦後の風景とあの3.11の後の仮設住宅の光景がダブって見えた。
ニアサーという災害そのものを描くのではなく、第三村の復興の日常を描いているというのは、人の生きねばという意思を時間をかけて描いている。
復興というものをイメージするとしたら、我々の脳裏に焼き付いているのはあの311だ、そこを拠り所にし現実と虚構を結びつけダブらせている。
第三村の住人達はニアサーによって絶望のうちに生きているのではなく、極めてポジティブに生きているように思う、大きな災害としてのニアサー、第三村の住人はニアサードインパクトではなくもう少し軽いニュアンスに改めてニアサーと呼ぶところに生きねばという力強さ、生に対する執着というかが感じられた、劇中世界ではあれから14年も経っている。
また、シンジをニアサーのトリガーとしてではなく、トウジとケンスケたちはあくまでも中学時代の同級生として接する、村人たちも同様に、あのニアサーを災害というニュアンスで受け入れているように思われた。
そういえばトウジもケンスケもシンジに対してエヴァの話、もしくはエヴァのパイロットだったという話を振っていなかった様に思う、トウジはヒカリと結婚し子供ができたという報告やケンスケはお得意のサバイバル術で便利屋を行っていたなどそれぞれの成長や大人になったという報告だったか、ヴィレ等については語ったと思うけれども。
だとすればあの第三村はエヴァンゲリオンの物語世界に存在しつつも、エヴァンゲリオンと切り離された別の災害の避難民たちの村にも読めてしまう、今書きながら思った。
また黒波が村人たちに徐々に受け入れられていく過程、エヴァに乗りネルフでのみ存在を許された彼女が、人間との触れ合いを経て徐々に言葉を挨拶を覚え人間らしくなる、その時それぞれの挨拶について黒波がヒカリに尋ねると、ヒカリはそれぞれの挨拶は「おまじない」と説明していた。
3.11以後見ない時間帯は無かったほど見たあのCMを連想したのは考えすぎだろうか、でも多分これは小ネタ。
あの牧歌的な生活に似つかわしくないプラグスーツを着ての農作業やプラグスーツのままで風呂に入ろうとするなど、ネルフでしか生きられない黒波「エヴァ」に囚われてはいるが日常生活を営むことで社会復帰を促す描写、すなわちオタクくんたちの像が重なり庵野監督の願望が現れているように思えた。
まだまだ長くなりそうなので次回もサービスサービス。