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MAD MONEY/BiblioTALK de KINOKOのお知らせ|weekly vol.0113

今週は、うでパスタが書く。

いい歳になってくるとおっさんが酒を飲みながら何回も繰り返すことがある。
「酒飲んで忘れないうちに言うときますわ」というやつだ。
若いときには「酒を飲んで記憶をなくしたためしがない」という者もかなりいたし、僕自身もいちどどうやら死の手前まで行ったとおぼしき夜のことまでそこそこ覚えているけれど、いまは昨晩自宅の机で何をしていたのかすらもが怪しい。気が付くとすごい量の株を買っていたり売っていたりするし、逆に買えていなかったり売れていなかったりもする。本当に墓場まで持っていくしかない失態も三つを数えるが、これはだらしなさではなく肝臓がアルコールを代謝するスループットが低下しているという純粋に化学的な現象、その避けられない結果だ。この歳で酒を飲めば誰にも避けられない。

しかしそれにつけても怖ろしいなと思ったのは、いよいよ身体を壊してしばらく酒を断っていた三〇代のはじめごろ、それでもひとと会わないわけにはゆかず自分でも「まさか」と思いながら飲み屋で烏龍茶をすすりながらひとと「飲んでいた」のだが、このとき子どもの頃以来にしてはじめて人の酔態を客観的にまじまじと目にする機会を得たことだ。
酔っ払いの声がやたらとデカいというのにももちろん閉口したが、なにせ彼らがとにかくおなじ話を何度も繰り返すのには愕然とした。それも次の店へ行って腰を落ち着けながら「いやぁ、しかしそれにしても」と最初の話を蒸し返すのではなく、おなじ店でおなじ席に座ったまままるで初めて話すかのような顔でおなじ話を始めるのだ。なるほど酒を飲んでいるとあっという間に時間が経つのはこれか、と次の日の朝にいつも感じる帳尻のあわなさが腹落ちしたのを覚えている。つまりこの場合には何があったかを忘れているのですらなく、そもそも何時間ものあいだ我々はなにもやっていないのである。

先日はちょうど三年ぶりになるひとと、「緊急事態宣言も明けましたし、久しぶりにいちどお目にかかって一杯やりながら近況報告をしましょう」ということになっていそいそと新宿の高層ビルへと出かけたのだが、「いやいやどうですか、最近は」なんて馬鹿みたいなことを言っているうちに「ラストオーダーのお時間です」と言われてしまい、ええっ、と声を出して訊いてみれば「リバウンド防止期間」の飲食店はだいたい夜の九時までで営業を終えてしまうわけだそうで、仕方なくビールを二杯飲んで、それで帰った。
しかしそこは飲み慣れたおっさんの知恵というか、「あ、そうそう忘れないうちに」と三回ぐらい相手の話をさえぎって大事なことは言いきったあとだったので大きな問題もなかった。今度は九段下にある我々の図書室でしっかり腰を据えて飲みたいなというぐらいだ。

そんなわけで今日も忘れないうちに言っておきたいのだが、今週もライブ配信のBiblioTALK de KINOKOがある。前回好評を博したスペースでの配信に、当マガジンの定期購読者向けのYouTubeLIVE同時配信とアーカイブ視聴を付ける。
配信は2021年10月28日(木)20時から、スペースは図書室のTwitterアカウント(https://twitter.com/biblio_kinoko)にて、YouTubeLiveは当ノートの末尾有料部分に記載のURLにておこなう。
正直、ひきつづきバタバタしていて忘れていたということもあって特にテーマは用意していないが、最近の例にならって配信は以下のように進む見通しである。

1.スモールトーク
2.市況
3.この1ヶ月で読んだ本、買った本
4.質問箱への回答
5.noteにサポートをいただいている皆さまへのお礼とお返事

配信にかかる時間は通常、三時間を見ていただいている。

質問箱(https://peing.net/ja/biblio_kinoko)へのご質問は随時受け付けており、基本的に配信のなかでしかお答えをしていない。質問のあるなしにかかわらず投げ銭はこのノートの末尾にある「気に入ったらサポート」ボタンから気の済むまで送金をしていただきたい。あわせていただいたコメントは配信のなかでご紹介し、お尋ねやリクエストがあればお応えしている。

星野さんは部屋にあったタウンページで市内のレンタカー・オフィスを調べ、適当なところを選んで電話をかけた。
「普通のセダンでいいんだけど、たぶん2、3日借りたいんだ。それほど大きくなくて、なるったけ目立たないものがいい」
「あのですね、お客さま」と相手は言った。「うちはマツダの車を扱うレンタカー会社です。こう言ってはなんですが、目立つセダンなんてひとつもありません。ご安心ください」
「よかった」
「ファミリアでよろしいでしょうか。信頼できる車ですし、目立たないことは神仏かけて保障いたします」

「海辺のカフカ」(村上春樹/新潮文庫)
駐車場に停まっている白のファミリアは、たしかに目立たなかった。それは匿名性という分野におけるひとつの達成であるかのようにさえ思えた。一度目をそらしたら、どんなかたちをしていたかほとんど思い出せなかった。

「海辺のカフカ」(村上春樹/新潮文庫)

僕の父は四〇年あまりのあいだにマツダのファミリアを三台乗り換えて、そして昨年ついに自動車を手放した。
それがマツダのファミリアだったのは、うちは祖母のルーツが広島にあって、そこのおじさんがマツダで働いていたからだ。もっともこのおじさん自身は当然クルマが好きだったから、はるばる関西のうちの実家へ遊びに来るときにはマツダのなかでもMS-8みたいなちょっといいクルマで高速をすっ飛ばしてやってきた。僕は自分の父親がひとのクルマを追い抜くところというのにほとんど覚えがない。逆に猛スピードで追い抜いていく車があれば、「ああいうのはもう少し先へ行けば道を外れてひっくり返っているもんだ」と陰気な口癖を繰り返した。

父は締まり屋で、それは僕の妻がいまでも「吝嗇」と口さがないことを言うほどだ。往事はトイレの水もほとんど流さないというレベルであったから、いまでいうSDGsを悪い意味で先駆けていたということもできるかもしれない。
近隣の家には軽自動車か農作業用の軽トラしかなく、それこそが「実用的」だったその村でほとんどたった一台のセダンだった我が家のファミリアは当時でも決して高い部類に入る自動車ではなかったが、なぜだか父はいちど買った車をなかなか手放そうとせず、最後には塗装ハゲからの鉄さびはおろか窓のパッキンがダメになって雨漏りがしたり、ハンドルを回すたびにきしみ声がしたりというレベルになってもかたくなに乗り換えようとしなかった(エアコンはそもそも付いていなかったので壊れなかった)。
僕が生まれる前に実家へ来たというグレーのファミリアは僕が一〇歳になったころようやく買い換えることになったが、いまかいまかと待ちわびた新車が届いた十二月のある寒い日、それがまたファミリアだったのを見たときの気持ちを僕はいまでも覚えている。

大学で教えることを生業としていた父の収入は、一般に思われているほど多くなかった。それを知っているのは僕が大学院に進んだ頃、東京へ出張してきた父とめずらしく一緒に飯を食ったら自分からそんな話をしてきたからだ。
「三〇になるまで親のすねをかじっていた」と言われつづけていた父にとり、おなじように研究者を志そうと(しているように見えた)息子にまだまだこれからも自分の給料で養っていけることを示すのはおそらく大切なことだったのだろう。心配するな、という文脈で明かされた金額だったが、そのときの僕にはその金額の意味もよく分からず、ただ「実家の土地に家を建て、それだけの収入があってなぜあんなに質素な暮らしをつづけているのか」というところにだけマイルドな怒りをおぼえた。

いずれにせよ僕は半年で大学院を去り、三年後に収入は父のそれを超えた。父はいまにいたるまで僕の仕事には一ミリも関心を示さず、何をやっているのかすら尋ねたことがない。ただ「あいつは金の話ばかりしているから近頃は人相が悪くなってきた」と親戚に漏らしている。ところが漏らした先の親戚は二人の息子が二人とも会計士なのだ。

旅客機の機内で客室乗務員になにか苦情をつたえるときに、「私は伊藤忠商事の〇〇だが」と謎の前置きしてからそれをいうひとがいるという話がかなり好きだ。伊藤忠商事という会社のグロテスクなメンタリティが特段好きだということもあるが、もちろんこれはこの会社に限った話ではない。

立場や金が人をつくる、というひともいれば、立場や金が人を狂わせる、という人もいる。もちろんこれらは矛盾しない。どちらも結局自分を見失っていることには変わりがないからだ。こういうのは大抵の場合、うまくいっているうちは褒められて、おかしくなると「狂った」とか言われるようになる。
たとえば調子のいいところの社長が常に顔の違う「カノジョ」を連れ歩いているのを指して「英雄色を好む」などと提灯をつける小物が必ずいるのだが、こういうタイプの社長がその後もながいあいだ調子よくやっているというケースは結構めずらしい(反面、その小物の方はかなりの確率で生き残っている)。この因果関係は僕にもよく分かっていないのだが、とにかく女癖の悪い社長が一〇年も二〇年も女癖の悪いまま会社の調子も絶好調、というのはあまり聞いたことがない。ただ、「女に嘘をつく奴には気を付けろ。いずれ男にも嘘をつくようになる」と周囲を戒めていた同僚は、あれはたしかに良いことを言っていたという気がする。

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