「歴史のはじまり」|weekly vol.0123
今週は、うでパスタが書く。
そしてこれでここまで三年にわたって続けてきた「weekly」の発刊は最後である。ナンバリングに四桁を確保していたのはいったい何だったんだという感じだが、コストさえ許容しうるのであれば備えるに越したことはない。そして虚勢はたいていの場合、ペイするというのがこの世の哀しい現実だ。だからこそあまり虚勢を張ってばかりいてはいけないのだが、この話は今回はよす。
「合理的な思考」をする人間ほど想定外の事態に不平をもらすものだが、そもそもこの世界にはルールブックがない。特に物理学の示唆する法則を社会科学にあてはめようとすると「想定外」は起こりやすいが、そもそも自然のなかにだってそんな法則は成立していないことの方がはるかに多いのだということをナシーム・ニコラス・タレブが言っている。「一〇〇年に一度の何々」みたいなことが最近やたらと起こるのにはお気付きだろうか。これは私たちがいま確率的にはとても低い目の次々に出る“ゾーン”にいると考えるよりは、そもそも採用しているモデルの方が間違っていると考えるのが自然だ。前回のweeklyと、それから今月配信したYouTubeLIVEをご覧いただきたい。
さて、今年のアカデミー賞授賞式では壇上のコメディアンに細君を侮辱された俳優のウィル・スミスがカメラの前でこのコメディアンを殴打したばかりである。
狼藉におよんだウィル・スミスはいまのところ逮捕されたり告発されたりはしていないようだが、それはなぜか。近年のいわゆる「キャンセル・カルチャー」の震源地となってきたショー・ビズの世界において性犯罪や人種差別発言が事細かにチェックを受ける反面、世界中の見つめるなかでキング・オブ・犯罪行為ともいうべき暴行に手を染めたウィル・スミスの出演作品をどうするのか。いやどうするのかとかいう以前にこの暴行の直後にスミスは主演男優賞に輝いているのだが、アカデミーはこの扱いをこれからどうするのか。巷間ささやかれる「スミスの気持ちも分かる」とはいったい何なのか。私たち男性は公衆の面前で侮辱された妻のためにどのように立ち、振る舞わなければならないのか。逆に妻たちは私たち夫が侮辱されたときにどうしてくれるのか。成人男性の黒人が成人男性の黒人を殴るという昨今ではめずらしく多様性をめぐる論点が一切介在しない純粋な暴行事件にリベラルの牙城・カリフォルニア州とその心臓部ともいうべきハリウッドはどういう反応を示すのか。などなど、あまりにも具が多すぎてごはんまでたどりつけない状況である。
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