Money for People|2022-12-09
今回は、うでパスタが書きます。
「こどもたちが、妖精を信じると言ってくれれば私は助かる」と言ってこどもたちがそう言わされるのを聞いている妖精の「試し行為」がここにあります。
作者がなぜこの言葉をティンカーベル本人に言わせたのかについてはもはや推測するほかありませんが、しかしいくつになってもひとはこどもの部分を持っていてよいのだ、それは浮世へ帰ってきたあともウェンディがそうであるように、心がネバーランドに遊んでいるというだけなのだからというメッセージ自体は明確です。
「ピーター・パン」が書かれた二〇世紀初頭のイギリスで大人になることは、いまでは想像も出来ないほどに過酷であった(それがたとえウェンディたちのような上流階級の子女であったとしても)に違いありません。それに比べれば現代に生きるわたしたちなど齢四〇を過ぎてなお不惑どころか何も覚悟できてはおりませんし、こどもにこうだと言って聞かせることのできるひとつも持ちあわせてはおらない有様です。
しかしそれにしてもなお(あるいはだからこそ、というように物語の寓意は時代と共に転換したのかもしれませんが)いつまでも心はこどものままでいいというピーターパンのメッセージはひとの目を忍んでもひしと抱きしめたくなる温かさを放っています。「ピーター・パン症候群」などと言って大人になれない“こどもたち”を何か社会病理のように扱った時代こそが病んでいた、というのはいまではもはや歴史的な事実と考えられております。
投資家であり、いわゆる「村上ファンド」を率いる村上世彰が、小学館から刊行された児童書でお金について語っていると賛否両論が巻き起こっています。
村上世彰はバブル経済とその破綻を通産官僚として目撃し、父親から投資家あるいは金を扱う人間として英才教育を受けたバックグラウンドから「日本の再生には企業のコーポレートガバナンスを強化するしかない」という信念を獲得するに至ったといいます。二〇〇〇年を前に独立してファンドを立ち上げ、堀江貴文率いるライブドアのいわゆる「ニッポン放送買収劇」に絡んで東京地検特捜部に逮捕されるまでは日本を舞台に数々の買収劇を繰り広げ、「物言う株主」という言葉をひろく日本人のあいだに浸透させました。
このあたりまでの経緯については自著の「生涯投資家」で詳しく語られています。
村上世彰の「コーポレートガバナンス」とは、簡単にいえば「企業は株主の利益を最大化するという目的に対し徹底的に厳しく迫るべきだ」ということに尽きます。このため経営者が会社の資源をうまく利用できないのであれば、その資源(つまり金)は株主へ返還すべきであるという意味で増配を求めたり、事業の売却や合併を提案するというのがいわゆる「アクティビスト」型の投資家像であり、起源である米国でもやはり毀誉褒貶の激しいこうしたやり方を地で行くスタイルで村上もまた日本で多くの称賛と批判を招くことになりました。
ここから先は
¥ 100
この記事が参加している募集
九段下・Biblioteque de KINOKOはみなさんのご支援で成り立っているわけではなく、私たちの血のにじむような労働によってその費用がまかなわれています。サポートをよろしくお願いいたします。