YouTubeLIVE配信 BiblioTALK de KINOKO vol.005
この告知は、うでパスタが書く。
告知は九段下図書室・ビブリオテーク・ド・キノコでキノコさんと僕が酔い潰れるまで酒を飲みながら(だいたい三時間)、その日のテーマについて逃げずに話しあうYouTubeLIVE配信「BiblioTALK de KINOKO」に関するもので、その開始日時は2020年10月20日(火)20時だ。配信は当マガジンの定期購読者限定であり、配信URLはこの告知記事の本文末尾に記載されている。
いままでは何となく木曜日の夜にやってきたのだが、まぁはっきり言えば翌日がキツすぎるので「次の日に運転しなくていい曜日」として火曜にさせてください、と今回はキノコさんにお願いをした。
一方、快諾をしたキノコさんだがこのひとはこのひとでいま精神と家庭崩壊の危機であって、「まぁもしキツかったらまた僕がひとりでやりますので…」ということは一応お伝えをした。人間はいちど切り抜けた修羅場に強い。
今回のBiblioTALK de KINOKO vol.005では、「現代人と住宅」について話していく。
これは各所で話をしているのでご存じの方も多いはずだが、私は最近引越しをした。
みなさんがどういう理由でどれぐらいの頻度、引越しを経験しているのかということこれ自体がまず興味深い問題なのだが、私の場合には特に気まぐれだというつもりもなく、毎回「ここを私の街とする!」というつもりで引越すのだが、その割にだいたい二年で引越しを繰り返しており、数えあげると今回で十四回目の引越しとなった。大学で実家を出たのが人生最初の引越しだったから、だいたい一・八年に一度の割合で引越しを繰り返していることになり、やはり二年暮らしていないことが分かる。
そんなだから私は、店子としては更新料というものをもう二〇年ぐらい払ったことがないし、正直にいえばその間、真剣に家を掃除したこともない。
おかげで家を買うということを考えるとき常に気になるのが、「ベランダを一〇年掃除しなかったら、窓ガラスを二〇年洗わなかったら、カーテンを三〇年洗濯しなかったらどうなるんだろう」ということで、「あなたは少なくとも戸建には向かないと思います」ということは、これは馴染みの不動産屋からはっきり言われている。
キノコさんもまた、更新料を支払わないことで知られたひとだ。
「支払わない」というのは居座るということではなく、私同様二年以内に引越しを繰り返してきたということで、たしか名古屋から東京へ戻ったあと、昨年あたりに初めて普通賃貸借契約を更新したというようなことを言っていたが、その後住宅を購入されたのでこれが生涯最初で最後の更新料ということになるのだろう。
住宅を買う、ということについては、これはどうやら永遠に収まらない議論が存在する。
まず「持ち家 vs 賃貸」という対立軸があり、これは当然賃料と分割払いのその差はいかに、ということから「住宅を買うことによりその後の選択がすべて自宅を中心とした地理的な制約を受けること」に関する指摘もある。
これに関連して「持ち家は資産と呼べるのか否か」という検討もしばしばおこなわれていて、まず当然に今後の地価の問題が取り沙汰され、そこには少子化によって住宅市場の上昇圧力は長期に弱まっていくという日本固有の論点があったり、いや少子化であってこそ人口は都市部に集中していくのであって、地価は大きく二極化するんだ、買うなら都心だという意気軒昂な声があがる。
そして「住宅の資産価値」という議論になると、いきおい目立つのが都心駅近のマンション勢だが、しかし鉄筋コンクリート造のマンションは絶対にこれ以上はもたないというデュレーションがあって、たとえば親がマンションを買ったから家が地主になった、みたいなことはまぁまず考えない方がよかったりということもあろう。築三十五年でローンの終わったマンションにも値は付くのであろうが、理論値と約定価格という観点からするとあまり軽率な議論はどうかと思う。
あるいはいずれにしてもあまり借金のできない日本のサラリーマンが個人のバランスシートを膨らませて(つまり「レバレッジをかけて」)一世一代の生活防衛を図るという意味において、超長期で低迷するであろう日本の長期金利というのは、これはたしかに住宅の自己所有によって生活の安定に寄与するであろうということは言えそうだ。
しかしこれらはすべて、その実態と目的が文字どおり千差万別である人間たちの、それぞれのポジショントークであるということを忘れてはいけない。賃貸であれ持ち家であれ、我々は住まう家というポジションを抹消することができない。それはホームレスですら「ホームレス」と呼ばれることからもあきらかだ。
我々が住宅について語るとき、我々は何について語っているのだろうか?
あるハウスメーカーが昔、寺島進をCMに起用して「なんで家なんて建てたんでしょうね?」と自嘲気味に言わせていたが、隣でそれに答えた老人(誰だか忘れた)は、「責任を持ちたかったんじゃよ、誰かの人生に」と言っていた。
まさにブルシットというべきであろう。
世の中、金を払って責任を引き受けようという人間がどこにいるというのだろうか。当のハウスメーカーがこれを言うことこそ、語るに落ちるというものだ。
住宅について語るとき、我々はみなそれぞれが別のことについて語っているのだ。だからこそ尽きせぬ議論はA.D二〇二〇年のいまをもってしても何の成果も生えないままに金利とコミッションで膨れ上がりながらいまも続いているというわけだ。
我々が、住宅について語るとき、我々が語っているのは「安定」であり「支出」であり「金利」であり「バランスシート」であり、それは「効率」であり、あるいは「沽券」であり、それとは知らずに「投機」であり、「慣習」であり「文化」であり、「家」であり「家族」であり、あるいは単に人生である。
そしてそれらのミックスは誰ひとりとして同じでないのだが、マーケティングに対する病的な脆弱性がここでも祟ってひとびとは「俺は間違えているのでは?」という恐怖心を煽られ、これを否定するために他のひとを攻撃している。
要するに「家」を語るとき、我々は我々自身に対するイメージを語っているのだ。それをひとと競い、比べて争うことには意味がない。しかしそれにも関わらず、「自分にとって家とは何か」「自分にふさわしい家とは何か」について考えることには価値がある。あるいはだからこそ、自分が住まわる家がひとの目にどう映るかを我々はこれほどまでに気にするのだろう(私は気にしている)。
恥をかき捨てて、明日の夜、私たちは自分たちの核心へと迫る。
以下、配信URLをお知らせする。
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