いいことがしたい?
最後にコンビニを見かけてから30分が経過した。街灯もない山道には薄く霧が出始めており、ハイビームに切り替えても見通しが悪く減速せざるを得なかった。対向車もなく、家の明かりもない、ナビは蛇行した山道をこのまま進むように、と指示している。過去に読んだ霧にまつわるホラー、山にまつわるホラーが頭をよぎりつつ、家族の手前不安な顔は見せずに温泉宿を目指した。
キノコです。
先日初めて東北を旅行した際に久々に山道を運転し、真っ暗闇というのを数十年ぶりに体験しました。実家である長野の山よりも緑が深く感じたのは季節のせいもあるのかもしれませんが、迫ってくるような密度の高い森の息吹を目の当たりにし、日本は緑の島であるということを実感した次第です。だいたいのところはドローン飛行禁止、と書いてあり、ドローンユーザーの行動力の高さと行儀の悪さを感じました。
岩手から青森に抜け、秋田を経由して岩手に戻る、という旅程だったのですが、泊まる先々で廃墟やシャッター街を見かけ、これが噂の!となりつつも、その間に新たに作られた施設や居抜きでリノベーションしました、という体の飲食店などができており、新陳代謝を感じました。まあ昔の状態を知らないのでいまが往時のどれくらいの状態なのかやこの先地域の人々がどういうヴィジョンをもっているのか、というのは全然分からなかったのですが、行ったことのないエリアに行ってみる、というのもたまにはいいものだなーと思いました。
人間は経験からもいろいろ学ぶことができるのですが、事前知識の有無というのは経験の質に大きく影響するな、と思いました。例えば地理。今どきはカーナビの指示に従っていれば大体のところに迷わず着くわけですが、ナビの地図を見つつ、自分が今日本のどの辺りを走っているのか、というのをなんとなく知っているのと、知らないのとでは見えてくる景色について抱く感慨もことなってくるわけです。海だ!という子どもたちに、あれは日本海だよ、と言いつつ、本当か?と自信が揺らぐような事があってはいけないのでは、と思うわけです。また、市場に行った際に、これは何?と聞く子どもに、ぶりの出世過程を説明できるかどうか。自分のコンフォートゾーンにいるだけでは成長しないというのは、こうした外部環境の変化に身を晒しながら繰り出される質問によって、無知を自覚することでも実感できるわけです。
というわけで、同じような日常を繰り返しているだけではなく、たまには外に出ようと思った次第です。まあ運転しているとインターネットが見られないので、移動時にもインターネットから情報を摂取する方法はもっと考えないといけないのでは、とも思いました。
さて、本日は動機を推測することの不毛さ、みたいな話をしようと思います。人が何かをする時には、動機がある、と仮定する事が多いですよね。それは人が行動をすることで、なにかしらの目的を達成しようとしている、ということを仮定しており、そのための手段としてとった行動が合理的か(一般的に妥当なのか)否かを都度判定しているということなのかな、と思います。裁判などでも、動機には一定の情状酌量の余地があり~とか言いますし。結果が伴わなくとも、動機がよいものであれば努力は認める、みたいな風潮もあります。
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