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幸福の発見/「湘南」|2023-01-22

今回は、うでパスタが書きます。

「惚れた相手が好みのタイプ」とその昔、湘南のナンパ師を讃えたTUBEというバンドが唄っていました。先におことわりをしておけば、湘南というところに本当にナンパ師がいるのかどうかを私は知りません。しかしTUBEが湘南の照りつける陽(そんなものがあるのかも私は知りませんが)のもとに突きつけたのは「価値と価値観はどちらが先に生まれるのか」という問題であったと思います。

世間一般のふつうに立派な家庭人のみなさんと、いい歳をしてインターネットを渉猟してばかりいるみなさんとのあいだで「読んでいる率」がおそらく有意に異なるだろう書物がたくさん存在すると疑っていますが、「禅とオートバイ修理技術」(ロバート・M・パーシグ/めるくまーる、現在はハヤカワNF文庫所収)もまたその一冊とみて間違いないでしょう。

価値は果たして事物に内在するのか否かという問題を、特に思春期の若者たちが考えるのはもちろんのこと、自分の価値はどこにあるのかを探しはじめたからに他なりません。
この探索は多くの場合哀しい結論に至りますが、稀に悲劇的な結末を迎えることもあり、見守る者からすると気が気ではないものと推察されます。「人生は旅」というようなことをしたり顔で言う大人がおりますが、それはとりもなおさず大人たちも人生の価値が分からないまま生きていることをそれとなく伝えているに他なりません。まさかそんな空疎な生を大人たちがみな何十年も生きてきたなどと若者の身では到底信じられず、また耐えがたいことであろうとはかつて若者であった記憶を保持する哀しい機械の私にも想像することができます。

年々と色褪せていく世界のなかで、「何が幸せなのかなんて、わからない」という言葉だけが大きな場所を占めていくような感覚があります。見るからに幸せそうなひとや、悩みなど抱えていないように見えるひとは私の周囲にも稀にいますが、若いときにはもっといました。そしてそんな人たちは決まって満たされているというよりも少し頭が弱いか、何かで心をいっぱいにして、つまりある意味でキメているように見えたものです。

しかしそれから何十年か経ってみて分かったのは、そうして心をいっぱいにして生きていくなかで少しずつ積みあげられるか、または単に溜まっていったものがいつか心の城壁となるものを築き、その内側にある世界を人は自分の「価値ある人生」と語れるようになるのだということです。
四の五の言わずにスタートしなければ人生に価値は生まれない。借り物の価値観をでもまとって歩み出さなければ始まらないということは、いま思えば私が軽蔑していた大人全員が口を揃えて言っていたように思います。
校庭の草引きをしながら「理屈ばっかりではあかんのやぞ!」と怒鳴った鈴木先生に私は「理屈以外に何を教えてるんですか」とくちごたえをしておりましたが、そのとき褒められていた野球部のハゲはみんな地元で税理士や介護士をやって社会との強い結びつきを築いています。私だけがルノアールでnoteを書いて月三〇〇円で売ったりして遊んでいるのです。なんということでしょう!

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