偶然の奏でる音楽/壊すということ|2024-02-02
今回は、うでパスタが書く。
実は、運任せの人生を送ってきた。
最近もひとと飲んでいるときに、というのはその場にいたのが割と努力を積み重ねてきていまもなお続けているひとばかりだったからだが、「実は自分は結構、運に任せて生きてきたところがある」と打ち明けることがあった。
そのとき一緒だったあるひとはいままさに「インポスター症候群」を発しつつあることをその場で告っていて、インポスター(詐欺師)症候群とは、自分が実力以上の評価を受けている、周囲に買いかぶられているがそれを知っているのは自分だけであり、遠からず自分は大失敗をしてその「嘘」が露見するのではないかと怖れる心理状況のことをいうのであるが、「症候群」といわれる通り、多くの場合それは杞憂なのだ。
なんとなれば詐欺師ばかりを持ち上げて仰ぎ見るほどは世間も甘くはなく、多くの場合ひとの受ける評価は実態に即し遠からぬところに収まるわけであるし、仮に「騙してやろう」と正真正銘思っている人間がいればそれはもう詐欺師か、あるいは騙してやろうと思いすらせずに騙しているのはいわゆるソシオパスだから「インポスター症候群」を発しない。詐欺師やソシオパスの生活にも不安はあるのだろうが、その不安はここでいうのとは完全に別のタイプのストレスだ。
つまり「インポスター症候群」を発する人間とは実際には、得るべくして得たポジションで確実にできると分かっていることより少し難しいことに挑戦しているというまったく健全な状態にある人間なのであって、本人のためにもまた社会のためにもこの心理状況からはいちはやく逃れることが求められるということだ。
他方の私には、詐欺師とまでは言わないが良くてもギャンブラーとして思春期以来の人生を歩んできた自覚がある。これは努力を積みあげるよりはサイコロを振ることに希みを賭け、結果的にまだ本当にひどいめには遭わずにここまでやってこられただけだという、再現性の非常に低い道を歩んできたという、はっきり言えば悔恨だ。
「まぁいいじゃないですか、いまが幸せならば」と仰る方にもたくさん出会ってきたが、いまここへきていちばん困るのは子育てというかこどもの教育で、まさか「いい目が出るまでサイコロを振り続けろ」と教えるわけにもいかず(というのはもちろん、出目が悪ければひどい人生を歩むことになるからだ)、成果の出る可能性が高いかあるいは少なくとも相応の成果だけは約束されているメソッド、すなわち根気よく努力を継続するという自分が途中で投げ出した(投げ出した、ということは継続していないのだからそもそも途中も何もなく未経験だということでもある)何かについてさも訳知り顔に教えなければならないのが、実に大変だ。
ここで「大変だ」というのをひとつの結論として少し脇に置いておくと、私自身の半生についての見方は、実は割と最近変わってきた。
たとえばそれこそ「次に一ゾロが出たら破産です」というか「良くて破産です」と毎日言われながらサイコロを振り続けるような働き方を二〇代から三〇代にかけてしてきて(ふつうはそれを「働き方」とは呼ばないことも分かっているが、ちょっと待ってほしい)、いまこの歳になるともうこの先に向けた「溜め」も「視野」も全然足りていない状態で、サービスエリアに駐車してそこでそのまま五年ぐらい車中泊してしまっているような焦りを私は、あの頃の自分の我慢のなさに帰してきた。
ひとによって評価は分かれるだろうが、私自身はその頃の日々を「自堕落」だったとは思わない。私には私で一生懸命やっていることがあったし、それを一生懸命やったのは、私がそこに多かれ少なかれ気高さを見ていたからなのだ。しかし同時に私はそのすべてが近視眼的というか足もとばかり見て歯を食いしばるという類いのもので、少なくともひとひとりの人生を長きにわたってドライブしていかなければならないことをそろそろわきまえてもいい歳にしてはあまりに戦略を欠いていたと、以来ごく最近までこう悔恨をしてきたわけだ。
たしかに異常な環境、異常な日々だったかもしれない。しかしひとの人生に、本当にありきたりな、正常なヴァージョンなどというものが存在するのだろうか?どんな境遇にあれ小さな努力を積みあげることでやがて大きな目標を達成し、その自信を胸に次の目標へ向けて歩んでいく、その自信と、日常こそが人生なのであって私はあの、はっきり言えば狂乱の日々のなかで「小さな努力」を惜しみ、そこから逃げ出した報いをいま人生の喪失として味わっているのではないか?
私が密かに恥じてきたのは、そういうことだ。
「すべてを投げ出し、あてもなく彷徨った。傷だらけのギャンブラーに出会うまで。」
あまりにも二〇〇〇年代的なコピーを巻かれた「偶然の音楽」が邦訳されたのが二〇〇一年のことだったことを思うと、「二〇〇〇年代」は九〇年代の半ばにはもう始まっていたのだろうと実感せざるを得ない。私はこの小説を、出版とほとんど同時に読んだ。そしてそれは、ここに書いたような日々の、その入口に私が立っていたときのことだった。
当時ポール・オースターの作品のどれもがそうだったように、「偶然の音楽」は私に「人生は、広大な世界と一体だ」ということを教えてくれた。だから世界がひとにとって不可思議なものであるならば、人生もまたそうだ。それは怖ろしいことであり、悲しみをもたらすこともあるだろう。だが疑いをもってはいけない。これは人生、これが世界そのものなのだ、そこから逃れることはできないのだと、ポール・オースターが言っているのはこういうことだ。そして私はまさに、その言葉ひとつを頼りにして自分の人生のストーリーへと分け入ったのだ。それがまさに私がすべてを投げ出して、誰からも「死んだ」と思われたくて、そうしてギャンブラーになった、その頃のことだった。
あの頃の日々が、成人してからこっち人生のほとんどを注ぎ込んだような時間が、いったい何だったのかを考えるようになった頃、私はもういちど「偶然の音楽」を読んだ。もともとあった本はもうどこかへ行ってしまっていて、あたらしく取り寄せて読んだことをアマゾンが記録している。
以降の記述で私は「偶然の音楽」の結末に触れる。
ふだん私がいわゆる「ネタバレ」を気にしないことは古い読者にはおなじみだが、ここであらためてことわるのは、この物語の結末を知るということ自体がこのあとの話にとって意味を持つからだ。
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