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サマータイム・ブルース/歴史の終わり|weekly vol.0095

今週は、うでパスタが書く。

海といえば、御宿だった。理由はいまも分からない。もう聞けるひともいなくなってしまった。
御宿は千葉県の外房にあって、鴨川の北、九十九里の南にあたる海辺の街だ。海以外には、何があるのか知らない。

夏が近付くと、誰からともなく「今度の週末は」というような声が出るようになった。
それは会議の終わりに、喫煙室の重い沈黙のなかで、エレベーターで交わされる短い会話の最後に、最初はちょっとした挨拶の代わりに、そして夏が近付くにつれて徐々に、徐々に多くの人間が、少しずつ大きな声で口にするようになった。

独り者やすでに離婚した者たちの週末は、味気ないというよりは闇に閉ざされていた。
僕たちにあったのは、金を稼ぐことと、金を使うことの、そのふたつだけで、もう何年ものあいだそれはふたつだけだった。そして土曜と日曜は、職場も、夜の街も、どちらも冴えないものだったから僕たちには完全に行くところがなかった。土曜の朝にはくたびれ果てたホストたちとおなじ店で飯を食い、部屋へもどってじっと夕方が来るのを待つ、そんな調子だった。

事情は既婚者にとってもあまり変わらなかった。
「将軍の娘」が有名なネルソン・デミルに「チャーム・スクール」という小説があって、女性の分析官が「ひとつ確認させて。あなたと奥さんは目下、離婚の途上にあるというわけね?」と尋ねるとヘリコプターを操縦する主人公が「そうでない夫婦がどこにいる?」と怒鳴り返すシーンがクライマックスに登場する。当時の僕たちにとってはこれほどすんなり腑に落ちる言い回しもなかった。

いちどめの結婚式には仕事の仲間がたくさんやってきた。
そこにはさらに関係する会社や取引先の偉いひとたちなんかもいて、それは僕が社長から「結婚式なんてカネを持ってるひとをできるだけいっぱい呼べばいいんだ」と教えられたからだった。おかげで立食の披露宴は互いに毎日のように顔をあわせている者同士ばかりで、そのうちのひとりは「この結婚が何年もつか」というトトカルチョを開帳していた。
三年経って離婚が成立したとき、「あんときご祝儀つつんでくれた社長さんたちにはな、機会があれば俺から知らせておいてやるよ」と社長は言ってくれた。報せを受けたひとりは「ああ、そうですか。ま、男はバツがついてからが一人前ですから」と電話の向こうで笑っていたと聞いた。

中小企業、特に明日をも知れぬ木っ端ベンチャーにおいて経営幹部の資産なんかは実質的に一時預かりに過ぎないことも多く、必要とあらば従業員に給料を払うため株主役員は逆に会社の口座へ資金を振り込まなければならないこともあるから、「家族の頭をバカにしたくないなら財布を嫁には預けるな。生活費だけを渡してそのなかで繰り回すように言え」と僕たちは厳命されていた。
しかし商店や個人事業主ならまだしも、サラリーマンの家庭に育った女性にとり夫が「給料袋」の中身をあきらかにしないことは不信の種となり、そもそも仕事の中身や社交関係がきわめて曖昧であることともあいまって、多くの既婚者に家庭は居心地の悪い場所になっていたし、僕たちは実際にいつも誰かが離婚の協議や調停・裁判の途中だった。

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