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データ/ストーリー|2022-12-05

今回は、うでパスタが書きます。

最近、たまたま大学の同窓にあたる方とお話をする機会がありました。
私は政治経済学部というところを在学中はほとんど勉強しないままに卒業しているのですが、わけてもその「経済」部分に関しては卒業要件がそもそも120単位中わずかに8単位であり、これは4年のあいだに通年の講義を2コマとったらそれでしまいという低水準で、出席にいたっては2コマあわせて正味3回ぐらいなのに成績はともに「優」でした。これは私が優秀だったということではなく、同窓の学歴をあまり過大評価してはいけないということを打ち明けております。
「やはり最低でも24単位は取らせないことには“政治経済学部”の名が泣きますよね」ということを卒業生同士がしゃあしゃあと話していたわけですが、実際にそうなれば私の卒業は危うかったと正直に思いますし、私大文系とはいえいまでは入試に数学が課されており、そうなると少なくとも私はそもそも入学できていなかっただろうと断言することができます。

いわゆるプロフェッショナルをもって自任する方々というのはその程度にかかわらず専門外の領域に立ち入ることを慎重に避ける傾向があります。学会で質疑に挙手した先生が「素人考えですが……」と前置きするステロタイプが存在しますが、若手の発表者に対する圧や嫌みというよりはその身に染みついた防衛反応だと考える方が自然でしょう。特に学者の場合ですと実績よりも権威でもって職の安全を担保しなければならないわけですから、万が一にも恥をかかないよう「私はこの分野の専門家ではないから間違えても仕方がないのだが」と入念に予防線を張っているのに他なりません。

「会議でスマートに見せる100の方法」(サラ・クーパー/早川書房)

もう少し実務的な専門家の世界です背景は少し異なっており、自分の専門領域が門外漢にはいかに立ち入りにくい奥行きをもっているかに鑑みれば他の領域にだって入口に立ってみるよりは複雑な内部構造があるのだろうから軽々に類推をして結論に飛びついては過ちを犯すという戒めが働いているものと思われます。このことはすなわち知識体系は専門性が高まれば高まるほど必然的に蛸壺化していくことを意味しており、自分の知性を過大評価することなく物事はすべからくその専門家に諮るべきであると教えておるわけです。

しかしこの戦略は往々にして専門家同士の意見が食い違う現実を軽視しており、こと法律のように人の手になる裁きがくだる問題であれば話はまだいくらか早いというものの、わずかでもそこに自然科学が関係してくればどんな突飛な考え方も世界中のどこかにはそれを裏打ちしてくれる学者が存在すると言っても過言ではありません。「科学的な根拠に基づいた立法」という考え方を私自身はいったんまずまずの方針だと受けいれてはおりますけれども、要するに誰のいうことを聞くかは結局のところ政治問題なのであり、経済学は必ずしも自然科学ではありませんが、それにもかかわらず「日本経済への処方箋」ひとつをめぐってもバブル崩壊以来二〇有余年、いまだにどの学者のいうことが正しいのかすら定まってはおらないわけであります。

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