大統領の孤独と「エスタブリッシュメント」、反乱
今週はうでパスタが書いていく。なぜならBibliothèque de KINOKO Weekly Magazineは私とキノコさんの隔週担当と決まっているからだ。
興味がおありなら教えておくが、私とキノコさんは実際にはほとんど会わない。そして九段下にある図書室の安くない賃料を毎月折半しつつ、このノートを隔週で更新している。
今日はここまでしかお話しできない。
最近引退を表明したプロ野球選手が、
「自分は努力しているという顔をしてる奴の努力はたいしたものじゃない、自分は孤独だと言っている奴の孤独は本当の孤独じゃない」
と、大意こういうことを言ったと聞く。
ひとに話せるような孤独は孤独でない、とするならば、はたして真の孤独に救いはないものなのかと、この二週間ずっと考えていた。
表現することもできない孤独だ。「分かるよ」とひとから言われて、そうかと得心できるものでもない。そも我々の多くは孤独であると傍目には気付かれることもないまま、毎日バスや電車で、そして職場で互いのとなりに座っている。あるいは座れることすらも稀である。
ともあれこんなに多くのひとびとのなかで、何の慰めもなく孤独を生かしておけるはずはない。
だからおそらく本当に孤独な者たちは、日々のなかでたまたま見つけた他人の孤独のなかに密かなやすらぎを見いだしている。どこかに落ちていた詩の一編を、絵画のなかの人影を、インターネットに投稿された画像の笑顔をふと見かけて、「自分はこの作者の孤独を知っている」と思えたときにだけ、孤独は孤独であるままにひとつ息をつけるのだろうと思う。
金はおろか誰のために文章を書くわけでもないが、どこかで誰かのそんな慰めになっていればいいなとも思いながら自分の書いたものをこうしてひとの目に触れるところへ置いていて、それがもう十年になる。
そのあいだに「百年に一度」と言われた金融危機から立ち直った世界は長い好景気を経験し、日本の消費税は八パーセントになり、もうすぐ十パーセントになる。アメリカの大統領がかわり、ロシアがサミットを去り、「すべての爆弾の母」が投下された。大きな地震があり、世界中でデモがつづき、多くの記録を残してひとりのプロ野球選手が引退した。
我々は孤独で、なにものの一部でもない。
それこそが尊厳であり、人類が革命期を通して獲得することのできた唯一価値あるものだ。この孤独を決して手放してはならない。
一九六〇年十二月。
アメリカは、ひとりの男が老人をともなってワシントンの自宅を出てくると自分の車と運転手に老人を送らせ、寒風の中に立ってそれを見送るのを目撃した。
男はその数週間後に大統領に就任するジョン・F・ケネディ。
彼はたったいま、ロバート・A・ロヴェットにすべてのポストを断られたところであった。
ほんの一ヶ月前に史上最年少で大統領に当選し、希望に満ちた民衆によって喝采を浴びたケネディ。その彼が冬空の下に立ち尽くして自分を拒んだひとりの老人を見送る姿。
この印象的なシーンから始まるのは、アメリカがいかにしてベトナム戦争の泥沼に踏み込み、その輝きを失っていったかを描くデイヴィッド・ハルバースタムの政治ドキュメンタリー「ベスト&ブライテスト」だ。
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