見出し画像

絶望を焚き、ドライブする昼と夜。

今週は、うでパスタが書く。

忙しくなってきた。
五億人を数える読者の多くがサラリーマン(つまり給与所得者)と想定されるBibliothèque de KINOKO Weekly Magazineなので説明しておくと、自営業者や経営者の「貧乏暇なし」というのは本当だ

二十代はじめから数えてもっとも長くつかえた社長にはいろんなことを教わった。たいしたコンペティターもいない田舎でのほほんと育ってやけに気位ばかりが高くなったがために就職活動にも身が入らず、気が付けば先輩の引きでアルバイトしていただけの僕に、親や先生あるいは破天荒だった先輩たちとはまったく違うこと、ひらたく言えば “How to survive” を教えてくれたのはこのひとだった。理想も目標もなく、上品でもなければ洗練されていたわけでもなかったが、親や先生の言ったことをもうあらかた裏切ってしまっていた僕にとって、この社長に教わったことはあともうこの世で必要なたったひとつのことだったと言える。
それほど感謝しているのに年賀状ひとつ書いていないのは、僕がそういう人間だからだ。このひとはあるとき僕に自分のしていたロレックスをくれたことがあり、それにはいろいろあって大切なエピソードがあるのだが、僕はそれを渋谷のもつ鍋屋ではずしたまま失くしてしまった。僕はそういう人間なのだ。

別のところで書いたことがあるが、僕が自分のチームを持つようになって少し「偉く」なりかけた頃、会社は事務所を引っ越そうとしていた。
そんななんとなくそわそわした社内で仕事をしていると、社長の決済印をもらった事務のバイトが降りてきてこう言った。
「ねぇねぇ、知ってる?社長、いまひとりで自分の引越の準備してんの。全部ひっくり返してさ、紐で縛ったりとかしてんだよ」
「じゃ、おまえ手伝えばいいじゃん」
「いやそう言ったのよ、そしたら『いや自分の分ぐらいは自分でやる』って。あいつは出世するよ」
夜半も過ぎた帰りに顔を出すと、社長はまだデスクに積み上げた書類や機材に埋もれているところであった。
「ノザワがあなた出世するって言ってましたよ」
声をかけると、俺もう社長だよと言って社長は椅子に倒れ込んだ。
「まぁいいや。でもな、うで。いいこと教えといてやるよ。おまえ、“社長” って会社のなんだと思う?」
彼はそのときにはまだセブンスターを吸っていた。
正しい答えを言うと話の腰を折ってしまう、と思った僕が「分かりません」と答えると、社長はにやりと笑った口の端から煙を漏らしながら言った。
「奴隷だよ」
あれから二十年近くが経ち、僕はあの頃以来、二度とサラリーマンを務めないままこの歳になってしまった。有給とも、残業代とも無縁の年月を過ごした果てに「働き方改革」の文字を見ても、何の感情も浮かばない。毎日、毎日を誰にも給料の払われないままに繰り返している。自己研鑽をし、試行錯誤をし、恥をかき、義理をかき、なお無収入だ。
市民、頑張ってほしい。

ここから先は

4,188字

¥ 300

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

九段下・Biblioteque de KINOKOはみなさんのご支援で成り立っているわけではなく、私たちの血のにじむような労働によってその費用がまかなわれています。サポートをよろしくお願いいたします。