教材の魔法|まえがき
こんにちは。矢澤典子です。
こんな超個人的なエッセイを読んでくださり、誠にありがとうございます。
私はセミナー講師や教室経営者など「人に何かを教える仕事」をしている方を対象に、教材づくりをサポートしたり、教材の活用方法を伝えたりする仕事をしています。
2年前までは長らく会社員をしていて、何度か転職をしながら、「人に何かを伝えるための文章を書いたり資料を作ったりする仕事」と、「見えないコンテンツを教材や書籍などの見えるカタチにする仕事」に明け暮れる毎日を送っていました。
そんな会社員時代の経験が今の私の仕事の土台にあるのですが、実はそれよりも前、もっと奥深いところにルーツがあるのです。
このエッセイは『教材の魔法』というタイトルの通り、教材によって生活の楽しみを見つけ、言葉を学び、世界とつながり、ついには生業を得ることとなった私の視点から、「教材の可能性」について書いたものです。
全編を通して、私の風変わりな半生を綴っていますが、あちこちに「教材を活用して講座を格上げするためのヒント」が隠れています。
きっと皆さんが想像する以上に、「教材」はパワフルでハートフルです。
教材に魅せられた一人の人間の物語を通して、少しでも「教材の秘める力」を感じていただけたら幸いです。
2017年7月26日 矢澤典子
独立起業2周年によせて。
みんな自由で、違っていい
ものごころついた頃、私はアフリカのスーダンという国にいました。家には両親、傍らには現地のベビーシッターさんがいて、毎朝自宅の玄関前をヤギやロバの大群が駆け抜けていく光景。
これが、私が初めて認識した「世界」です。
その後、オランダ、ポーランド、ケニアと渡るのですが、見てきたのはずっと「みんな違って当たり前」という世界。
「この世界には、いろんな人がいて、いろんなことをしている」
「世界は広くて、温かくて、おもしろい」
そんな世界にドキドキワクワクしていました。
ところが、高校受験に合わせて帰国した日本では、何やら様子が違いました。
海外帰りの私。
日本の流行りがわからない私。
「私はこう思う」を発言する私。
その度にザワザワと沸き立つ不穏な空気。
多感な思春期だったこともあり、「どうやら みんなと同じようにしないといけないらしい」と察するまでに、時間はかかりませんでした。
処世術として、自分の本心に気づかないふりをし、周囲に埋もれるように目立たずに過ごしているうちに、いつしか私は、場の空気を読んで、周囲の期待を鋭く察知して応える優等生キャラになっていきます。
これが私の暗黒の時代の始まりでした。
それは、社会人となって、一層強固なものになっていきました。
上司の期待、お客様の要望、同僚の状況をとても敏感に察知することで、評価され、必要とされる人になっていきます。
ところが、私はちっとも幸せではなく、心は常に疲弊していて、そのストレスが「体調不良」や「病気」となって現れてくるようになりました。
社会人経験を重ねるほどに、組織や立場としてあるべき態度・発言を求められ、規律やルールにがんじがらめになっていく。
耳を傾けたい声や、目を向けたい課題があっても、組織としては取るに足らない物事。
組織で働く上でのそんな「当たり前」すら、私にとっては苦痛で窮屈なものになってしまい、会社員として働くことに、どうにもこうにも折り合いがつけられなくなっていたのです。
そんなタイミングで頭をよぎったのが、新卒で就職するときに、おぼろげながら抱いた「いずれは組織に属さず仕事がしたい」という想いでした。
私は、自分の想いや考えを、誰に遠慮することなく発信したい。
良いものを良いと言いたい。
好きなものを好きと言いたい。
何よりも、マジョリティやメインストリームからこぼれ落ちてしまう、小さいけれど光るもの・大切なものを拾い上げて、スポットライトを当てたい。
声にならないものに耳を傾け、目に見えないものに形を与える。
そんなところにこそ、私が幼い頃に見てきた「多様性」の芽があるのでは?
35歳。
こうして、まずは組織を離れて「フリーランスとして働く私」が誕生しました。
そこに広がっていたのは…
私がよーく知っている
「この世界には、いろんな人がいて、いろんなことをしている」
「世界は広くて、温かくて、おもしろい」
というドキドキワクワクするような世界でした。
>>プロローグ につづく