クリスマスにひとりぼっち?
この時期になると、「クリぼっち」という言葉をあちこちで耳にします。クリスマスをひとりぼっちで(特に恋人なしに)過ごす寂しさを表す言葉です。日本では、どういうわけか、クリスマスは恋人と過ごすものという考えが定着してしまったため、そのような言葉が生まれたようですね。
クリぼっちと聞くたびに、私の心にはある名言が思い浮かびます。
この人がどのような気持ちでそう語ったのかを調べたところ、「私のクリスマスの奇跡」という体験談の締めくくりに書かれた言葉だとわかりました。
それは、彼女が離婚したばかりで、一人で5歳の娘を世話しなければならないのに、定職が見つからず、お金も尽きたという、どん底状態にあった時のことです。世間は楽しいクリスマスシーズンを過ごしていても、彼女はそんな気分にはなれず、それどころか、家賃が払えずに新年早々アパートを追い出されるおそれがありました。
祈っても祈っても仕事は見つからず、神からも人からも見捨てられたように感じ、クリスマスだというのにまったくのひとりぼっち・・彼女にとっては、それこそ本当の「クリぼっち」だったことでしょう。
クリスマスイブとなり、「明日のクリスマスディナーに用意できるのはハンバーガーくらいか」と考えている内に、ものすごくみじめな気持ちに襲われ、生まれて初めて神の存在を疑いました。
しかし、その時、不思議なことが起こりました。半年前に一度だけ出会い、ちょっとした親切をした相手から、思いがけずいくつもの素敵なクリスマスプレゼントが届けられたのです。幸せな気分になり、将来への希望が少し感じられたので、その日届いていた2通の請求書の封筒を開ける勇気が湧いてきました。しかし、それは請求書ではありませんでした。
1通は小切手で、夏の間に少しだけ働いた会社からのクリスマスボーナスでした。これで家賃を払え、アパートを出なくてすみます。そして、もう1通はある役所からで、クリスマスの2日後から正規の職員として働いてほしいとのことでした。
どうしようもないほど暗く冷たい状況が一変し、問題が一挙に解決されたのです。でも、彼女がこの出来事を「クリスマスの奇跡」と呼ぶのは、それだけが理由ではありません。
教会の鐘が鳴ったので、外へ出てみると、多くの人が救い主の誕生を祝うために教会へ向かっていました。彼女を見て微笑んでくる人がいたので、彼女も微笑み返し、誰かが賛美歌を歌い出すと、彼女も一緒に歌いました。そして、この体験をこのように締めくくっています。
神からも人からも忘れ去られ、ひとりぼっちのように感じていたけれど、実際にはそうではなかったと気づけたこと、それこそがこの奇跡のいちばん大切な点です。
そして、2千年前の最初のクリスマスにも、神はそのように暗く冷たい時代を見て、この世に光(イエス・キリスト)を送られました。
インマヌエルと呼ばれるイエスを受け入れる人は、神の子どもとなり、クリスマスはもちろん、一年を通してどんな時にも、決して神から忘れられることも、ひとりぼっちになることもありません。
どれほど暗い瞬間にも、私たちは決してひとりぼっちではない。それがインマヌエルの意味であり、テイラー・コールドウェルが伝えたいクリスマスのメッセージなのです。