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泣くに時があり

先週の水曜日からレント(四旬節)が始まりました。

イエス・キリストが私たちの贖いのために苦難を引き受けてくださったことを、復活祭(イースター)までのあいだ思い起こすためなので、受難節とも呼ばれます。

イエスは十字架で命を落とす前にも、弟子の裏切り、むち打ち、いばらの冠など、心身ともに激しい苦難に遭われましたが、旧約聖書には受難について興味深い預言が記されています。

彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。(イザヤ53:11 新共同訳)

「苦しみの実り」とは、「多くの人が正しい者とされる」こと、つまり私たちの贖いであり、イエスは「それを知って満足」されたわけです。

私たちにも、「苦しかったけれど、いい結果がもたらされた」と、後になってから分かる経験があるし、そのさなかにあっても、「きっといい結果がもたらされる」と思えることがあります。

一方、苦しく悲しいだけで、何の希望も見いだせないことも確かにありますが、それでも、人生は泣きたいことばかりが起こるのではありません。

泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり・・(伝道の書3:4)

どれほど深い悲しみに襲われたとしても、いずれきっと笑える時が来ます。

それまでの間、何らかの支えがあれば、心強いものです。

共に泣いてくれる友人(ローマ12:15)、似たような経験をした人からの慰め(2コリント1:3-7)、信者仲間からの助け(ガラテヤ6:2)、私たちと同じように試練に会われたイエスからの思いやり(ヘブル4:15)、神がくださる母親のような慰め(イザヤ66:13)です。

そして、笑える時や癒やしの時がいずれ訪れると信じることも、試練を乗り越える助けになります。

イエスの苦難を思い起こし、試練の先にある希望を信じて、歩み続けましょう。

私たちの目から涙が完全に拭い取られる日まで。

神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。(黙示録21:3-4)


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