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雨のすること
『雨』(八木重吉)
雨は土をうるおしてゆく
雨というもののそばにしゃがんで
雨のすることをみていたい
「雨=天気が悪い」?
沖縄が梅雨入りしたと聞き、何年か前に、「梅雨が好き」という人はわずか8%だという調査結果を耳にしたことを思い出しました。
そもそも、日本人は雨に対する苦手意識が強く、傘の所持数は世界1位だそうです。
たしかに、雨には、ジメジメ、憂うつ、不快などのイメージがあるし、人生の試練も雨にたとえられることがあります。
また、晴れの日は「いい天気」で、雨が降ると「天気が悪い」と言います。
でも、災害をもたらすような豪雨は別として、果たして雨自体はそんなに悪者なのでしょうか。
日本は四季に恵まれており、一年を通して充分な雨か雪が降っているので、そのありがたみに気づいていないような気がします。
パレスチナの気候
聖書の舞台となっているパレスチナには、実質的に、暑い乾季(5~10月頃)と比較的暖かい雨季(11~4月頃)しかありません。
乾季には雨がまったく降らず、植物にとっては、昼と夜の温度差によって生じるわずかな露が重要な水分補給源です。
雨季の始まりとなる秋の雨(前の雨、初めの雨)によって、夏の暑さや乾きが和らげられるとともに、乾季の間に硬くなっていた土が柔らかくなり、耕して種をまけるようになります。
冬には、間欠的に降る雨で作物が成長します。
そして、最後に春の雨(後の雨)によって穀物は豊かに実り、まもなく大麦や小麦が収穫できるようになります。
雨は祝福のしるし
こうして、農作物の収穫に頼っていた古代人にとって、時にしたがって降る雨は試練の象徴ではなく、祝福のしるしだったのです。
もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ・・
見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。
自然を通して与えられる恵み
日本においても、また現代でも、雨の大切さは変わらないのですが、ただ、雨がもたらす恵みや雨が少ないことから生じる害を直接目にすることがあまりありません。
雨のことを意識しなくても、水道の蛇口を開けば、いつでもきれいな水が出てくるし、野菜は店で簡単に購入できます。
給水制限になり、野菜価格が高騰するまで、雨が少ないと困るという実感がわかないものです。
同じように、神が自然を通して多くの恵みを与えておられるのに、それに気づかず、かえって軽んじていることがどれだかあるのだろうと考えさせられました。
【神は】あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
梅雨に話を戻すと、年間降水量の4~5分の1がその期間のものである他にも、美しいアジサイや雨上がりの虹によって私たちの目を楽しませてくれる季節でもあります。
また、雨が降ると、庭のある人は水やりをしなくてすむし、家にいるのが好きな人はゆったりと休日が取れます。
それに、雨の音に耳を傾けていると、心が癒やされ、穏やかな気持になるものです。
雨が私たちのためにしてくれることは、他にもいろいろありそうですね。
自然を通してであれ、何かの出来事を通してであれ、神が私たちに与えようとしておられる恵みを見逃すことがありませんように。
◆ ◆ ◆
(クリスチャン詩人として知られる八木重吉の詩をもう2編味わいながら、自然の恵みを送ってくださる神に感謝したいと思います。)
『雨の日』
雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう
『雨』
窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう