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自分には価値がないと感じる時に思い出したい聖書の言葉
日本人は外国人と比べて、自己肯定感に関するアンケートで、「私は価値のある人間だと思う」にNOと答え、「自分はダメな人間だと思うことがある」にYESと答える割合が突出しているそうです。
人の目を気にしたり、人と比べたりして、自分にできないことや足りないことに目が行きがちなのかもしれません。
謙虚さの表れとしてそう答える人も多いのかもしれませんが、もしそう考えることで落ち込んでしまうことがあるなら、あなたにはとてつもない価値があるのだと、どうぞ思い出してください。
神の目に映るあなた
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
神にとっては、あなたの存在そのものが高価で尊いものです。
能力や成果とは関係なく、あなたは絶対的に神から愛されています。
神の傑作
私たちにそれほどの価値があるのは、神という最高の巨匠によって作られたからです。
わたしたちは神の作品・・である。
しかも、神に似た存在として創造されるという栄誉にあずかっています。
神は自分のかたちに人を創造された。
個人的によく知られている
あなたがたの頭の毛までも、【神によって】みな数えられている。
世界に何十億の人がいても、神は私たち一人一人を個人的に、また頭の毛の数に至るまで詳細に、知っておられます。
価値のないものに、それほどの関心を払うことなどありません。
神の手のひらに刻み込まれている
見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。
私たちは神にとって、たなごころ(掌=手のひら)に刻み込んで、いつも思い出していたいほど、大切な存在です。
あなたはあなただから価値がある
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
手が目になることも、足が頭になることもできませんが、それぞれに大切な役割と価値があります。
他の人と比べて劣等感にさいなまれること(あるいは優越感に浸ること)は、「知恵のないしわざである」と聖書はさとしています。(2コリント10:12)
どんな状態でも愛されている
私たちがどんな状態でも、神が私たちを愛するのを止めることなどありません。
たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。
そもそも、私たちが神を認めず、自分勝手に生きていた時に、神はその愛を示してくださったのでした。
まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
神は私たちを救うために、「キリストの死」を代価として支払われました。
神の目から見れば、私たちはそれほども価値のある存在だということです。
弱さの中に神の恵みと力があらわれる
主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」・・わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
自分が弱く感じる時にこそ、主の恵みが注がれ、主の力があらわれます。
強いものだけに価値があるのではありません。
それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。
神から見れば、私たち一人一人が、なくてはならない大切な存在です。
他人の目に影響されがちな自分の価値観ではなく、私たちの状態に関係なく愛を注いでくださる神の変わらない価値観を、どうぞ信頼してください。
神の目には、あなたは高価で尊いのです。
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