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バイブルメッセージ

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毎月2回配信している聖書関連のメッセージです。
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#クリスマス

あなたが小さい者でも

クリスマスまで1か月半となり、ふとミカ書にあるこの言葉に目が留まりました。 これは、メシア預言と呼ばれるものの一つで、イエスがメシア(救い主、ギリシャ語でキリスト)としてベツレヘムで生まれることを預言しています。 エフラタは、ベツレヘムの昔の名前か、ベツレヘムに吸収合併された町の名前だと考えられています。(創世記35:19、ルツ1:1-2) 当時のヘブル人(ヘブライ人)は部族ごとにそれぞれ相続地があり、部族はさらに氏族にわけられていました。そして、ユダ部族の中でも、とり

慰めと救いを待ち望む

メリー・クリスマス! 今年のクリスマス・シーズン、皆さんはどうお過ごしだったでしょうか。 イエスの誕生物語(ルカ1~2章とマタイ1章)には多くの人物が登場します。この時期になると、私はそれぞれの人にとって、イエスの誕生はどのように見えたのだろうと考えるのですが、今年は、特にシメオンのことをよく考えていました。 シメオンは祭司や律法学者や議員のような有力者ではなく、ごく普通の人でした。しかも、けっこうの老人のようです。ただ、神とのつながりが強く、神の聖霊の導きにゆだねていた

恐れる私たちへの喜びの知らせ

何か思いがけないことが起こると、私たちは戸惑うし、それが良くないことをもたらすのではないかと不安や恐れを抱くこともありますよね。 「最初のクリスマス」であるイエス・キリストの誕生に関わる記述(ルカ1~2章とマタイ1章)では、天使が4組の登場人物に現れて、「恐れるな」と告げています。 ▶ ザカリア: 祭司のザカリアは、神殿で務めをしていた時に天使が現れたので戸惑い、恐怖の念に襲われました。おそらく、いきなり天使が部屋の中に出現したら、誰でも怖いと感じることでしょう。 天使

俳句と真珠とクリスマス

クリスマスを題材にした俳句は意外に多くあります。 今日は私の好きな句をいくつか紹介しながら、クリスマスについて考えてみたいと思います。 クリスマスの俳句「八人の子供むつましクリスマス」(正岡子規) 明治29年に詠まれたこの句によって、初めてのカタカナの季語「クリスマス」が生まれました。 肺結核で療養中だった子規は、たくさんの子供たちが仲むつまじく過ごす姿に、微笑ましく平和なクリスマスを想ったのでしょう。 今年のクリスマスに、そんな平和なひと時が世界中の子供たちに訪れ

ヘンデルのメサイア:アーメン・コーラス

アーメンの意味最近、メサイアのアーメン・コーラスを聞きながら、アーメンという言葉は、たった一言なのになんと力強い信仰の表明なのだろうと考えていました。 アーメンは、「まことに、真実に、確かに」という意味のヘブル語から来ています。 祈りや賛美、説教などで使われる際は、「まことにそうでありますように」「この言葉は真実です」「今言われたことに同意します」という意味になります。 アーメンである方福音書には、イエスが最初に「アーメン」と言ってから何かを告げている箇所がたくさんあり

神からのクリスマスプレゼント

12月に入り、クリスマスが近づいてきましたので、神からのクリスマスプレゼントについてお話ししたいと思います。 イザヤ書には、メシア(救済者、ギリシャ語でキリスト)についての預言が幾つも記されており、その一つがこれです。 世界で最初のクリスマスそれから700年後、ベツレヘムの羊飼いたちに天使が現れ、この男の子の誕生を知らされました。 これが世界で最初のクリスマスであり、神はこの男の子「救い主キリスト」という包装紙に包まれたクリスマスプレゼントを私たちに贈られたのです。

神にとってのクリスマス:虫になった神

クリスマスは、救い主の誕生を祝う楽しく喜ばしい時です。 でも、神にとっては、どうでしょうか。 イエス・キリストが犠牲を払われたのは十字架に架けられた時だけではなく、人間として誕生すること自体が大きな犠牲だったことを忘れてはいけないと思います。 御子と呼ばれ、言と呼ばれた神が、救い主として地上に来るためには、どんな犠牲を払わなければいけなかったか、見てみましょう。 力と自由「宿った」の部分を直訳すると、「幕屋(テント)を張った」となります。 昔、イスラエルの12部族は

メサイア:悲しみの人で、病を知っていた

ヘンデルのメサイアクリスマスが近づくと、ヘンデルのメサイアが演奏される機会が増えてきます。 「ハレルヤコーラスの曲」として知っている人も多いかもしれません。 メサイアとはヘブル語「メシア」を英語読みしたもので、救世主を意味します。(ギリシャ語に訳すと「キリスト」) それぞれ幾つもの曲からなる三つの部分(降誕、受難と復活、救いと永遠の命)から構成されており、聖書から取られた歌詞によって、それぞれの曲が歌い上げられていきます。 第2部より、「彼は侮られて人に捨てられ」昨日

神の選択と私たちの選択~マリアとヨセフの場合

「人生は選択の連続である。」 シェークスピアがそう語ったように、私たちは絶え間なく選択・決断をしています。 ある研究によれば、人は一日に35,000回も決断を下しているとか。 その多くは瞬時に下す小さなものですが、中にはじっくりと考えて下す選択・決断もあります。 例えば結婚がそうであり、誰と結婚するかはもちろん、タイミングや式の準備、新居など、たくさんの選択を下さなくてはいけません。 若き二人の選択イエスの地上での両親であるマリアとヨセフの場合、婚約中に、他のカップ

闇を照らす光

早いもので、クリスマスまで1ヶ月足らずとなりましたね。 昨日は、待降節(アドベント)が始まりました。 アドベントにもクリスマスにも、光のイメージがあります。 聖書には、イエスが光として到来されたことが書かれているからです。 光と闇は反対語ではありますが、対等の関係にはありません。 闇がどれほど暗くても光を消すことはできないけれど、光には闇を一瞬で消し去る力があるのです。 闇が光に勝つことはありません。 ただ、私は最近、憎しみや利己心に満ちた事件の数々をニュースな

インマヌエル(私たちとともにおられる神)

ヨセフが婚約者マリアの妊娠を知り、離縁しようと思い巡らせていた時、天使が現れてこう言いました。 イエスとは「主は救い」という意味です。 イエスには他にもさまざまな呼び名があり、それぞれイエスがどんな方であるかを示しています。 たとえば、上記の天使のお告げに続けて、マタイは次のように記しています。 聖霊、つまり神の霊によって胎に宿ったとは、イエスが神の子であり、神であるということです。 そしてその神が私たち人間の姿となって、「私たちとともにおられる」のです。 私たち

弱く小さいものを神は使われる

自分には大した才能も知恵も地位もなく、ちっぽけで弱い存在だ・・そう思ってがっかりすることはあるでしょうか。 でも、神はむしろ小さく弱いものを使うことを好まれるし、それはイエス・キリストの誕生の際にもそうでした。 赤ちゃん神の子であり宇宙の王である方が地上に来られるわけですから、通常の考えでは、威厳を持って盛大な現れ方をしそうなものです。 しかしイエスは、普通の人間として、しかもか弱く小さい赤ちゃんとして地上に来られました。 両親それでもまあ、王家か少なくとも裕福な家庭

イエスの誕生に関する預言

先週も書きましたが、聖書にはキリスト(ヘブル語でメシア=救い主)に関する予告が数多くあり、それらはメシア預言と呼ばれています。 そのうち、イエスの誕生によって実現された預言を3つ紹介します。 まず旧約聖書にある預言、次にその実現を示す新約聖書の言葉を、新改訳2017から引用します。 1)ダビデの子孫エッサイとは、古代イスラエルの名君ダビデ王の父親です。 2)ベツレヘムで誕生この勅令があってこそ、預言は実現したのでした。 3)処女から誕生イエスは、私たちとともにいるた

待降節の希望

昨日は、多くの教会で、待降節(アドベント)が始まりました。 アドベントはラテン語で「到来」を意味する言葉から来ており、「キリスト(救い主)の到来」を指しています。 つまり、待降節は、イエス・キリストが2千年前に人間の姿で到来されたことを祝うクリスマスの準備期間であり、やがて終末にもう一度到来されることを待ち望む期間でもあります。 キリストの到来やそれにまつわることは、聖書に数多く予告されていますが、その最初のものがこれです。 これは、蛇(サタン)がアダムとエバを誘惑し