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第13回~イエスが受けられた洗礼の意味について①~

前回は、バプテスマのヨハネの役割についてご紹介しました。
今日は、そのバプテスマのヨハネから洗礼を受けるイエスキリストにフォーカスしていきます。

同じ年齢で親戚同士である2人は、30歳になると主のために働き始めました。

まずヨハネが、人が罪を悔い改めて新しい人生を歩み始めるために、ヨルダン川で洗礼(バプテスマ)を授けるようになりました。
そこへイエスがやって来ます。
そしてヨハネに、自分も洗礼が受けたいと言いました。

思い出してください!

彼らはお腹の中にいる時から互いを知り、自分達の役割を知っていました。
(11回目の投稿です。)

更に、

ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」
ヨハネの福音書 1章23節

その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。
ヨハネの福音書 1章29~30節

その、「世の罪を取り除くために来た」イエスが、「悔い改め」のバプテスマを受けたいと言っているわけです。

クリスチャンの方の中には、人が新しい人生に踏み出すために悔い改めと洗礼が必要であることを、人としてのイエスが模範として示されたのだ、と捉えておられる方もいらっしゃるかと思います。
私もそう思っています。

ですが、聖書に書かれていることの意味は、多くの場合複数あることは以前にお伝えしたかと思います。

ここで質問です!

イエスは、悔い改めて新しい人生を歩む必要があったのでしょうか?

答えは、Noですよね。

ヨハネも、
「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」
と言い、イエスにバプテスマを授けようとはしませんでした。

しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。
マタイの福音書 3章15節

これは一体どういうことなのでしょうか?

☆イエスは神であり、人である☆
(これは第3回目に書かせていただいています。)

神としてのイエスは洗礼を受ける必要はありません。
しかも人としても、神に従っており罪を犯していないので、やはり洗礼を受ける必要はありません。
そもそもバプテスマのヨハネの洗礼は、罪を洗い清めるため。
とすると、罪のない者が、罪を清める洗礼を受けると、どうなるでしようか…

☆自分を罪ある者として認めることになるのです☆

イエスはここで一瞬にして、世の人と同じ、罪人としてのアイデンティティを持つこととなったのです。
しかも、この場合の罪とは人間1人分の罪でしょうか?
そうでない事は明らかですよね。

世の全ての罪でした。

つまり「イエスキリストが世の罪を全て背負った」というのは、罪を清めるバプテスマのヨハネの洗礼によって整えられたのでした。
そしてここから、イエスの十字架への旅が始まった、という事になります。

これこそが、驚くべきパラドックスです!

洗礼の一つの意味が、人間とイエスで真逆であったとは…

私はこれを知った時、衝撃を受けました。

天の神様が単純に、人としてのイエスに世の全ての罪を背負わせていたのだと思っていたのですが、その完全なるプロセスが、聖書には書かれていたのでした。
そしてこの事は、まさに神の子でないと成立しなかった、とも言えますよね。
そして、この洗礼の意味は、更に深いところへと私達を誘っていきます。


Have a great day!

13回

※写真は、ヨルダン川です。重要な場所ですが、実際は思ったより小さな川で、このように荒野の中を流れています。



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