第14回目~イエスが受けられた洗礼の意味について②~
前回は、罪のないイエスが、罪を清めるための洗礼を受けることで、人々とは逆に罪人となられた事を書きました。
ですが、イエスが罪人となられて終わっては話になりません…
洗礼を受けられたイエスに、素晴らしい事が起きました。
イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。
そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」
マタイの福音書 3章16~17節
ここには、イエス・キリストがイエス・キリストである所以の全てが書かれています。
①バプテスマを受けられた→罪を背負い、100%人と同じになられた。
②天が開けて神の御霊がイエスの上に降ってきた
→三位一体である聖霊が与えられた。
③天から声があった→神がイエスの父で、イエスが神の子であることがはっきり告げられた。
この時、イエス・キリストのアイデンティティが完全に確立しました。
つまり、ただ、神の御霊と人間マリアの間に生まれた存在ということだけではなく、この箇所で、更に以下の事柄が明確になったと言えます。
☆天の神様が父→天に住まわれる父なる神
☆その子供がイエス→子なるイエス自身
☆神の御霊がイエスに宿る→聖霊が与えられた
(聖霊は、目には見えない神の思いを伝え、神の力を与える存在です)
この3つは、第8回目に少しだけ書きましたが、三位一体と呼ばれる神の位格を表しています。
三位一体とは、一つ一つには違った役割もあるけれども、本質においては一つの実体として存在するという意味です。
イエスは、バプテスマを受けて100%人となられただけでなく、
天の父からの声、
イエス自身
そしてその人の上に聖霊が宿ることで、
三位一体の神全てを受けられました。
この事が後で、大きな意味を持ってきます。
今の私達にもつながる大きな意味となっていくのです。
イエスは、人間としての痛み、苦しみなどを経験する必要がありました。
そうでないと、完全に人間と同じようになる事はできないからです。
そこには、私たち人間を愛しており、私たちを全ての悪から救い出したかった神の思いも感じる事ができると思います。
イエスは父なる神様の思いを実行するために人の目に見える形で現れました。
皆さんの中には、
「こんな面倒な事なんかせんで、神が全知全能なら、さっさと人間を救ってくれたらええやん!」
(時々突然関西弁になります(汗))
と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、神は人間に自由意志を与えられ、ロボットのように意のままになる存在としては創られませんでした。
最初の人、アダムとエバの時から、互いに愛し合う関係として、約束事を作り、それらを「契約」として、互いに誠実に守っていく関係を持たれたのです。
ですから、神の摂理という言葉が存在するのです。
そう思うと、神の摂理によって、イエス・キリストを世に送ってくださった愛と情熱を感じずにはいられなくなりました!
ではではまた次回!
God bless you!
Have an awesome day!
※イギリス、St Swithun’s Churchにあるステンドグラスです。
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